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牧師の兼業問題とこの業界にはびこるクソ団体再考 乞食の方に失礼である [クリスチャン業界の下世話な話]

最近ネットに復活したBBAは、今クリスチャンのブログの過去記事を一生懸命読みなおしている。
読み物としたら断然、ノンクリスチャンのキリスト教にについて書いたブログや、アンチクリスチャンの書くブログの方が面白い。
というかクリスチャンブログなんて物を伝える視点や基本構成がほとんど欠落したまま、類型化しているので読むに値するものはない。あれだけ高度な文章に日々対峙しているのに、
「聖書という世界最高の書物」があるから、他の本なんて読む必要がない」とリベラルやノンクリをdisっているのに、人の物を伝える能力、もしくは文章力は恐ろしく低く、その言葉が眉唾ものになっていることに本人達はいつ気づいてくれるのだろうか。

いつも愛読しているアンチキリスト教のブログの最近記事に「牧師(神父)は乞食である」という主張が目に入った。
しかし、これはまったくもって無礼千万な話であるので強く抗議したい。乞食の方に失礼である
(この言葉はBBAにとってちょっときついのではないので以下ホームレスと書かせて頂く。あと、やっぱ全部が全部ではなく特に神父シスターは一生独身で普段はあちこち働いている場合が多いということも付け加えさせて頂く。逃げがあることは認める。)

少なくともホームレスの方は、汗もかかずに聖書を片手に赤の他人から金をせびることをしない。金がないのにボコボコ子供も作らず、他人の金で就職に挫折した牧師家庭の馬鹿ガキ共に海外の神学校にいかせてニート暮らしをさせ、特別献金と称して10万単位のお小遣いも払わせない。

そして乞食の方は貧乏ごっこもしない。本当に貧乏だからだ。

しかし、なんでああ我々BBAも含むキリスト者は、イエスキリストの話をしながら、バリサイ人を避難しながら、全力で祭司職に専念したがるのか。
そしてなぜ、本当に貧乏な人間には目もくれず、楽に貧乏をするための貧乏ごっこをするため既得権を守ろうと躍起になっているのだろうか。貧乏人とか弱者というのは大体いろんな意味で間違っていて性格もひん曲がっている人が多いし、、社会派、共産主義への警戒、反省から距離を置いているのはわかるが、戦略的に損をしてないか。

正直良いも悪いも、キリスト教(伝統系)が明治期、戦後に福祉等に力入れている実績がなかったら、この日本ではただの「加害団体」としてとっくに排斥されていたと思う。今は伝統宗教系が残した貯金を韓国・アメリカの新興宗教系のバカ共の悪行で食い尽くしている状態だ
景気の悪い日本人から見れば「税金も払わず地域にも福祉にも貢献せず、日本文化を否定・破壊し、墓参りを否定するのに、社会の墓守としての役割も果たさない」地域で信者不足と資金難であえぐあまたの教会なんて、地域住民の「日本に黙って置いてやってるだけでありがたいと思え」の当然の帰結ではないのか。

また信者の側もどうして、献金すれば、奉仕すれば、いつか幸せがくるなんて妄想をしているのだろうか。
お前ら本当に博打好きだな。いま、ここ目の前に、隣人に、神が常におられると信じているはずなのではないか。
イエス様は大工、パウロはテント職人、十二弟子は医者他、きちんと貧しく働きながら伝道し、子供も作らず殉教したのに、特に酷い一部の者はろくに働きもせず伝道もせず、セックスだけはバンバンしてボコボコ子供を産んで、でかい建物に住んで教育費を人からたかってそのくせ、弱者には極めて冷淡で、目に見えた社会活動もせず、働いている人間を小馬鹿にし、あれで何で平気な顔をして生きていけるのか、まったくもって理解できない。
それが富や楽しみや知性を除外し我慢したゆえの褒美ならば、我らは乞食ならぬ人外の者と呼ぶのに相応しいとすら思う。

以前、牧師の就業問題についていくつかのブログで議論が交わされたのを見たことがある。
「就業経験があるからといって社会性があるわけではない」という意見と、「人々の間で社会性のある牧師を渇望する呻きがあるのではないか」という指摘の主に二つの意見に集約されていたと思う。
前者の立場で福音が富に仕えてはならないとか強固に主張していたのが、例によって、先のアンチキリスト系のブログで「大学で加害活動を行なっている団体」とまで評されたあのサークルKの総主事である。検索にひっかかって欲しいからはっきりいうがその加害団体とはKGK(セックスしたい同好会)のことである。
(最近、KGK+「○○○不穏な単語」で検索している方が多いが何かあった?)

大体、その団体に限らずあんなところにいつまでもたむろっている人間のほどんどは、学問の世界にも伝道にも身を投ずる覚悟もないアマチュア勉強家、そして批判を交わすため、貧乏ごっこしたいための左翼くずれの怠け者が多い。
そしてああいう所は単立教会の世襲かクリスチャン企業の二世とか当たりが主事になるケースが多いので、必死に仕事しなくても生きていけるのだろう。
以前、あしなが育英会の募金活動にKGKの学生が日曜礼拝を休んで参加しなければならない状況を憂いていたが、もう律法主義に陥った人間はここまで愛とか福音とかを放り投げるものかと、それでいて富は手放さないのかと愕然としたものである。

いいですか。育英会等の団体に長年寄付をしているBBAから申し上げますが、その学生が募金に立たなかったら、別の誰かが寒空の中一日中募金に立ちます。
礼拝が理由でそういった活動を拒否するのならば、最初から育英会の奨学金を受けないで自分でバイトなりなんなりして学費を稼いでください。それかお前らの団体で奨学金を用意してください。礼拝を重視して福音を示すつもりならばまず自己犠牲を見せるのが筋です。あなたが一人奨学金を辞退することで別の誰かが学校に通えます。それが本当の愛です。

教会員を公務員やホワイトカラーの職業につくよう脅してそこからピンはねして貧乏ごっこをしているあなた方にはわからないでしょうが、クリスチャン、ノンクリスチャン構わず、お金は時間の、人の命の単価です。真剣に生きているからこそ、人の命を左右されるからこそ、お金に対する感覚はシビアにならなければいけません。募金に立っている若者は確かに気の毒です。彼らは見世物の一面もあります。しかし彼らが矢面に立つことで、「こういう若者がいるんだ」と我々はその空間を共有することができます。例を見せるからこそ、実感できればこそ、「分け合う」ということが現実味を帯びてきます。
残念なことに我々は罪人ゆえにここまでしないとなかなか主の命令を実感することができないのです。シビアになった上で、「分け合う」方法を模索するのです。育英会が上部の高給やいろいろな問題がありながらもまだ多数の寄付が集まるのは、金に関する感覚がまだ市民に近くシビアだからです。
「当事者が募金に立たねばならない現状」とか人のことがいえますか。
会計が集まらず下らない献金のお願いを郵送させる暇があったら、あなた方主事や理事やらが街頭に立ち、寄付を集めたらどうですか。この左巻きの口だけ番長が。

 

BBAはお前らから送りつけられる振込用紙を見る度に、「相変わらず貧乏ごっこして遊んでやがるな」と嘆息するのみだよ!

 

まあこういうクソ共の二代目、三代目ともなると親を見てるのか、やはり子供も怠け者が多く、酷い奴になるとあれで金もらえるなら猫にまかせた方がマシというほど仕事(奉仕)をしない。礼拝だけは「義務これで完了!」みたいにして出るが自教会で本当に仕事(奉仕)しない。あれはもう暇つぶしのサークル活動であり、社会に害なす怠け者共を育成しているだけだ。
献金が欲しい、伝道したいなら少しは人目を構えよ。
主事連中もこちらが献金している裏で夜勤明けの若い男の子が椅子で疲れはてて船を漕いでいる横で、彼奴らはよく寝てよく遊んで勉強してうまい飯を食べながら、貧乏したふりして子供バンバン作って色々たかってまったく楽しそうである。

あと「伝道団体」といいながら、おそらく伝道に一番向いてないというか本音は伝道なんかする気はないんだろうと思う。BBAは十数年見てきたが、読書会という名の程度の低い勉強会(くっちゃべってるだけ)、内輪だけのセミナーと主事のボーナスのための献金のお願い、あとは一般の者から見たら噴飯物の日の丸君が代反対運動で、社会奉仕だとかノンクリスチャンへの伝道活動なんかほとんど見たことがない。あれで金がとれるなら、楽な商売だなとつくづく感じる。
だが、まあ挨拶はしない、教会の奉仕は適当、来会者の声掛け一つできない一般常識に恐ろしくかけた無能に、一般人への伝道や社会奉仕なんかできるはずもないか。下手に外に出て伝道してもらっても、こっちが恥をかくし。そういう意味では身の程をわかった上での選択をしているのかもしれない。

 

最近はちーとマシになってきたのか、このような噴飯物のサークルに入ってもまともな若者も結構割と見かけるようになった。しかしそういう若者に限って、深入りもせずいつまでもつるむことなく、社会に出て鍛錬し、自然と距離を置くようになってしまいまさに悪循環である。
主は見ておられるようで、ここ最近ネットの悪評が表面化し、また時代の影響で経営がかなりジリ貧になっているようだ(会計報告より)。
若かりし頃若気の至りで何回か献金したBBAの所にも、振込用紙の入った封筒を何回も何枚も送りつけてるが、いつまでもたむろっているあそこのサークル者が見ていたら言うが、

 

「伝道成果、社会奉仕を禄にプレゼンテーションできない個人(団体)に金をやる馬鹿な社会人はいません」
「金が欲しかったら、中学生の学級日誌のような程度の低い証w(感想文)と遊んでいるだけ(風)に見える写真を乗せているプリントと振込用紙を人様に送りつける前に、一般常識なんかもう求めないから、せめて自教会の奉仕ぐらいちゃんとやれ

最後に信徒側にも。先のブログより。

>まして「神のモノを盗みとるな」と脅迫されながら「什一献金」を支払うなんて、人間としてダメです。
>判断力が低下しているのだと言わざるを得ません。
>什一献金がダメなのではありません。
>教会に金を払う必要性を疑わないことがダメなのです




ごもっとも。


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クリスチャンと非嫡出子(3) 非嫡出子の存在は許すけど自分の息子(娘)とは結婚しないでね^^ [クリスチャン業界の下世話な話]

たぶん、現在においてキリスト教もしくはクリスチャンが何か物を申しても「あっちの人」(香山リカ)扱いされで影響力を失っているのは、

私生児→養子→きれい(ワーパチパチ)
同性愛→偽装結婚→きれい(ワーパチパチ)


真ん中の紙切れで問題をうやむやにする姿勢のまま、愛や命の概念をドヤ顔で押し付けることに無頓着すぎる点にあるのではないか。
はっきりいって言行不一致でうさんくさい。
偽装結婚にしろ養子にしろ大事なのは「紙切れ一枚」のくせして安全な所から最低限の権利すら保障しない理想論を押し付けられてもはあ?と首を傾げざるを得ないのだ。
その反面、君が代反対だとか同性愛反対だとかの運動がちょっとでも規制されたらギャーギャー「信教の自由の侵害」とかまさに失笑ものである。

私が君が代が歌う歌わないで「自分が選んだ」公務員であるのに一喜一憂しているクリスチャンにあまりにも「ピントがはずれている」といったのは、当事者意識、つまりその状況に置かれた他人の立場に考えるといういっぱしの大人ならば身に着けてしかるべき感受性(罪の概念)がノンクリスチャンよりかけ離れていて「浮世離れ」しすぎていると案じたからだ。

弾けないから歌えないからといって、職務すら全うできない君が代クリスチャンは、その立場を得ることができるなら君が代1000回歌っても公務員になりたい無数の若者の心境にキリスト者として何ができるかもう少し議論する必要があるのではないか。
つか戦前のクリスチャンを見習ってというけど、内村の鑑ちゃんなんか不敬事件の際言い訳一つせずに速やかに公立学校の教職を辞したんですけどね。
なに都合のいい所だけ取り出して反骨精神きどってるの?バカなの死ぬの?

 

 

ここからは暗い話

なぜ、こんなことを怒りにまかせて呟いたかと思うと、随分昔に一人いたからである。当事者の子供が。
彼(彼女)はどうも「私生児」としてのイエス・キリストに惹かれたようだった(神の子だけどね)
苦学生でなかなか優秀で外見もよかった。しかしどこかに影があり、苦労してきたのだなと思った。
ふるまいは個性的だったがなんとか回りにあわせようと必死なように見えた。そうでなくても、彼(彼女)の性質は好ましいものであったけれども。
その後私は引越しのため、その教会を離れた。彼(彼女)のその後は知人を通して知ることになった。

両親共にクリスチャンホーム出身の男(女)と結婚の約束をしたらしいが、
「そんな出自(血)の男(女)の汚い人間に子供はやれない」とクリスチャンの両親が反対してダメになった、とのこと。
そんな相手を選んだ彼(彼女)も悪いが、本人目の前に随分露骨にいったそうで親も親である。
また何よりもむかついたのがこのクリスチャンの親が「中絶反対・恵まれない子供のための運動」とやらでちょっとは名の知れた人間だったからだ。

彼(彼女)はもういない。

教会から去ったのではなく死んだのでもなく、しばらくして「人間」をやめてしまった。

これはフェイクでもあり実話でもある。
性別を含め詳しく書けないのは、おっさんが彼(彼女)とその周辺とわずかながらまだ関わりがあるからだ。
父親から捨てられ、地域で愛されることもなく、世間からは社会を恨むな生かせてやるだけありがたいと思え。日向に出るな。
恨むなら親を恨め罪の子と言われ続け、やっと主イエスを自分の代弁者として受け入れたのに、
救いの場として選んだ主の交わりが完全にとどめを指した。
人は 自らが受け入れた制度から零れ落ちる人間にだけ実にきちんと「罪」に定めるものだ。

クリスチャンはよく自分のことを「罪人」というが、自分に対し「罪」があると本当に自覚できる人間はいない。
イエスキリストの身代わりの死なんて実感できない。他人の命は「羽毛より軽い」。

光があれば影もある。
私は養子制度は賛成だが、中絶には反対しない。できない。

おっさんもクリスチャンだけど教会にはいかない。まだ祈れない。
私達夫婦は子供ができなかったが、養子はとらない。


キリスト者が散々迫害してきた非嫡出子、同性愛者に聖書的な結婚制度は崩壊させられ、今度はクリスチャンが追い詰められる。
現に、ヨーロッパでは結婚制度は有名無実化し、キリスト教に対する圧力は強まってきている。
迫害してきたものは迫害される。主は誠に平等である。


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