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クリスチャンと非嫡出子(3) 非嫡出子の存在は許すけど自分の息子(娘)とは結婚しないでね^^ [クリスチャン業界の下世話な話]

たぶん、現在においてキリスト教もしくはクリスチャンが何か物を申しても「あっちの人」(香山リカ)扱いされで影響力を失っているのは、

私生児→養子→きれい(ワーパチパチ)
同性愛→偽装結婚→きれい(ワーパチパチ)


真ん中の紙切れで問題をうやむやにする姿勢のまま、愛や命の概念をドヤ顔で押し付けることに無頓着すぎる点にあるのではないか。
はっきりいって言行不一致でうさんくさい。
偽装結婚にしろ養子にしろ大事なのは「紙切れ一枚」のくせして安全な所から最低限の権利すら保障しない理想論を押し付けられてもはあ?と首を傾げざるを得ないのだ。
その反面、君が代反対だとか同性愛反対だとかの運動がちょっとでも規制されたらギャーギャー「信教の自由の侵害」とかまさに失笑ものである。

私が君が代が歌う歌わないで「自分が選んだ」公務員であるのに一喜一憂しているクリスチャンにあまりにも「ピントがはずれている」といったのは、当事者意識、つまりその状況に置かれた他人の立場に考えるといういっぱしの大人ならば身に着けてしかるべき感受性(罪の概念)がノンクリスチャンよりかけ離れていて「浮世離れ」しすぎていると案じたからだ。

弾けないから歌えないからといって、職務すら全うできない君が代クリスチャンは、その立場を得ることができるなら君が代1000回歌っても公務員になりたい無数の若者の心境にキリスト者として何ができるかもう少し議論する必要があるのではないか。
つか戦前のクリスチャンを見習ってというけど、内村の鑑ちゃんなんか不敬事件の際言い訳一つせずに速やかに公立学校の教職を辞したんですけどね。
なに都合のいい所だけ取り出して反骨精神きどってるの?バカなの死ぬの?

 

 

ここからは暗い話

なぜ、こんなことを怒りにまかせて呟いたかと思うと、随分昔に一人いたからである。当事者の子供が。
彼(彼女)はどうも「私生児」としてのイエス・キリストに惹かれたようだった(神の子だけどね)
苦学生でなかなか優秀で外見もよかった。しかしどこかに影があり、苦労してきたのだなと思った。
ふるまいは個性的だったがなんとか回りにあわせようと必死なように見えた。そうでなくても、彼(彼女)の性質は好ましいものであったけれども。
その後私は引越しのため、その教会を離れた。彼(彼女)のその後は知人を通して知ることになった。

両親共にクリスチャンホーム出身の男(女)と結婚の約束をしたらしいが、
「そんな出自(血)の男(女)の汚い人間に子供はやれない」とクリスチャンの両親が反対してダメになった、とのこと。
そんな相手を選んだ彼(彼女)も悪いが、本人目の前に随分露骨にいったそうで親も親である。
また何よりもむかついたのがこのクリスチャンの親が「中絶反対・恵まれない子供のための運動」とやらでちょっとは名の知れた人間だったからだ。

彼(彼女)はもういない。

教会から去ったのではなく死んだのでもなく、しばらくして「人間」をやめてしまった。

これはフェイクでもあり実話でもある。
性別を含め詳しく書けないのは、おっさんが彼(彼女)とその周辺とわずかながらまだ関わりがあるからだ。
父親から捨てられ、地域で愛されることもなく、世間からは社会を恨むな生かせてやるだけありがたいと思え。日向に出るな。
恨むなら親を恨め罪の子と言われ続け、やっと主イエスを自分の代弁者として受け入れたのに、
救いの場として選んだ主の交わりが完全にとどめを指した。
人は 自らが受け入れた制度から零れ落ちる人間にだけ実にきちんと「罪」に定めるものだ。

クリスチャンはよく自分のことを「罪人」というが、自分に対し「罪」があると本当に自覚できる人間はいない。
イエスキリストの身代わりの死なんて実感できない。他人の命は「羽毛より軽い」。

光があれば影もある。
私は養子制度は賛成だが、中絶には反対しない。できない。

おっさんもクリスチャンだけど教会にはいかない。まだ祈れない。
私達夫婦は子供ができなかったが、養子はとらない。


キリスト者が散々迫害してきた非嫡出子、同性愛者に聖書的な結婚制度は崩壊させられ、今度はクリスチャンが追い詰められる。
現に、ヨーロッパでは結婚制度は有名無実化し、キリスト教に対する圧力は強まってきている。
迫害してきたものは迫害される。主は誠に平等である。


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クリスチャンと非嫡出子(2)  未婚の母は親になる資格はないのだから子供を捨ててください^^ [クリスチャン業界の下世話な話]

「胎児の人権」とやらで頑張って生んだところでキリスト教含め未婚の母に対するリアルの反応はこうである。

>はじめから結婚と家庭を望まない未婚の母や、夫婦愛の自然の営みを通らない試験管ベビーや代理母など。もともと子どもを育てる資格のない親のもと

オバマ大統領、妊娠中絶を容認

それに対する反論
>(コメント欄より)言ってる理想はわかるけれど 現実、望まれないで生まれてしまった子の権利は書かれていない。

反論に対する司教の反論

>今はたいてい社会福祉法人を通してであるが、教会のイニシャチブによって種々の社会福祉事業が行われ、不幸な女性や子供を助けてきた。特に、特別な事情のもとに妊娠し、中絶の誘惑にさらされる女性たちを助けるために意を用いて来た

助けてきたのは事実であるが、もう一方でカトリックが映画「マグダレンの祈り」の舞台の修道院を1996年まで廃止しなかったことも忘れてはならない。さすが2000年。建前と侮蔑に歪みがない。

 ついでに

シングルマザーがカトリックの小学校を受験しようとした時のリアルの反応


要するに「命の大切さ」とやらで生んでも養子に出すかポストに捨てるかしない限りあらかじめ社会からはじきますよ。ということだ。

それともなんだ。婚姻外で産まれた子に産まれてきたものは仕方がないし我々には関係ない世界の人間だからフォローしないけど、どっかに数少ない人間の善意があるかもしれないからそれに縋り付いて生きていけとでもいうのか?当事者に。
それなら母親の考えとして、産んで生木を裂くようにして子供と離れて一人前になるより、最初から「なかったこと」にして次の子供には数多くの善意が保障された人生を歩ませたいと思っても非難はされまい。

まあそれは極論だが、キリスト教で一番優れたシステムは養子制度である、とは私も思っているのだ。
世の中には親から人間から世間から必要とされない人間は山のようにいる。
また反対に世の中にはどんなに愛情深くても善人でも子供に恵まれない人間も山ほどいる。
主は創造主であられるから人間側の事情を斟酌なさらず、またその必要もない。
養子システムはこの両者を結びつける今の所有効な手段の一つである。

ただこれは血の概念の強い国(特にアジア)ではなかなか導入が難しく、お隣の韓国では逆に
キリスト教の割合が多い韓国でもこのすぐれたシステムを利用せんと毎年多くの障害児や私生児が海外に「輸出」されている。中絶するよりマシかどうかは私は知らない。個人的には「恥知らず」だと思うしこんな国にむやみに頭を下げたり、こんな国の牧師をマンセーするキリスト教関係者もアホかと思う。


ここではっきりいっておくが、私はクリスチャンで「中絶否定派」ではない
非嫡出子の相続格差は撤廃。無論相続も認めるならば、負債も介護義務も折半である。
「本妻の権利の侵害(なんだそれ)」というなら生前贈与か遺言書を義務づけるべきであろう。
非嫡出子の最低限の権利も中絶を認めずなおかつ婚姻制度を維持するというならば、
いっそ婚姻外の罪は「姦通罪」を作って、罪を犯した男女、生まれた子を全部死罪にし徹底的に排除して然るべきとすら思っている。


昔からこの手の運動は、身分制度があると言われている。

寿司を振舞って金を稼ぐ職人(牧師) それを食べる人(クリスチャン)、寿司ネタ(胎児())
と昔から役割が決まっていて、寿司ネタはいつだって喰われる側だ。
貧乏人、非差別者は昔から知識人、善人の研究対象、捕食対象であり、金儲けと自己満足の手段である。

まあつまり胎児だの非嫡出子だの養子だのは金ヅルなのだ。金ヅルの上に善人ぶれるからこれほどいい獲物はない。
存在がリアルでないから生まれて差別されよーが、貧困に喘ごうが「心の底から」どうでもいいのだ。
当事者じゃないから。クリスチャンになったら教会にそんな人間いないでしょ?はじくから。
自分と家族がクリスチャンでいれば、そして子供もクリスチャンでいれば、社会秩序の中で地位は保障され、クリスチャンだけのコミュニティで安心安全無菌な世界にいることができる。


コミュの中で完結すればいいが、たまにそれでは我慢できず社会に物申す人間もいる。
それなら最低限の資質は持って頂きたい。社会に物申す人間に必要な資質はなにか。私はそれは当事者意識と加害者意識だと思っている。
誰よりも強い当事者意識があってこそ初めて社会は聞く耳を持るのではないか?
中絶を否定できない人間は、基本一番弱者に冷たいものだ。否定はしない。
しかしまだ「生まれてきたらこの子はきつい運命にある」とある程度残酷な当事者意識はある。
平和ボケしすぎて「本当に心底(神以外)祝福されていない」前提の人間のことを考えることすらできなくなっているのではないか?
「もしかしたら自分がその立場になるかもしれない」
「この人達を阻害もしくは迫害しているのは自分ではないか」

これをキリスト教では「罪」というのではないかと思ったが、どうやら違うようだ。
一部のクリスチャンの中では「ぼくのかんがえたさいきょうのせいしょ」に従わない他人が「罪人」で「ぼくのかんがえたさいきょうのせいしょてき○○」に従わないすべてが「罪人」であり「この世」だそうだ。
はっきり言うがこう思うようになったら人間をやめた方が良い


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