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滅びろ絶えろJ-POP風ゴスペル&ワーシップソング [クリスチャン業界の下世話な話]

なんでクリスマスやらコミケでクソ忙しいから更新しないといったそばから更新するのかといったら、腹が立ったからである。

年末恒例のアレを押し付けられたために・・・

今年もチャリティーと称して素人崩れのワーシップソングのCDを売りつけられる時期がやってきた。
しかも今年は東日本大震災のチャリティー扱いなのでタチが悪い。
なんとなくおばちゃんのキャラクターから察して頂ければわかると思うが、私は、このJ-POP崩れのゴスペル&ワーシップソングが心の底から大嫌いである。絶滅しろとすら思っている。
なので悪見本としては嫌がらせついでにこっそり紹介するかもしれない。が、気の毒すぎるので検討中である。(本当は晒して悪ざまにけなしたいが)。
少しは本読どるんかいといった陳腐な歌詞、単純なコード、聴衆のことを考えないパフォーマンス、どれをとっても三流以下

聖書は神様のラブレターというが、神様「かーらーのー」ラブレターだからこそ聖書は価値があるのであって、一介の凡人がロクに推敲もせんと信仰という名を隠れ蓑とした神様「への」ラブレターなんぞ見たくも聞きたくもない。
またU2のように、一旦自分を突き放して神に問いかける内容の真摯さがあればいいが(私は色々あれU2は世界的ロックバンドと認めている)「主の愛してます~」「私を愛してくれてありがとう」の往復書簡的てめーの感情垂れ流しの歌詞などチラシの裏に書いてろである。
このレベルで「世界に一つだけの花」「Imagine」「この世敵」とするのは、ゾーマにこんぼうで対抗するようなもんである。
ダビデはゴリアテに勝ったが、詩篇を見ればわかるように彼は天才的な詩人でもある。であるから石でも勝てる。
グレコリオ聖歌からルターを経た賛美歌の歴史とその歌詞を辞書引きながら、日本語ポップスにするのならば、あんたら嫌いな槙原敬之、中島みゆきを筆頭に、有名どころでいいから、フリッパーズギター、小沢健二、バンプ、16g、相対性理論、ラッドあたりの歌詞を紐解いて一から勉強しなおせといいたい。それがムリならゆずとかHYとか初音ミクの有名Pでいいから。(特に小沢健二の歌詞は優れていると思う)
あと、基本的なバロック音楽とFF~ドラクエ、MOTHER、クロノトリガー、聖剣伝説、アトラスとか有名ゲームの音楽を聴こう。いや聞いて頼むから。
RPGは中世をモチーフとしているのでキリスト教音楽と親和性がある。
MOHTERの「星歌」とかうちの大BBAが「賛美歌」と間違うぐらいすごい。

誰も書かないからはっきりいうけど、耳が腐る場が崩れる。昨今のフォーク崩れ、ロック崩れ歌付バンドの賛美。
保守的な年寄り連中がワーシップによる賛美にまゆをしかめるのは単に頭が古臭いだけじゃなくて(それもあるけど)、単に長時間聴くのに、心を静めるのに役にたたないからだ。
んで若者のワーシップグループが年寄りだらけの聴衆で若者にしか喜ばれない歌ばかり歌うんじゃなく、年寄りが聞いてきて今は教会では流れない文語調の古き良き賛美歌を聴きやすい感じにアレンジするぐらいの敬意と気遣いはないんですかね。
事前にアンケートとるとか、実際に年寄りに聞くとか、下調べの方法はいくらでもあるだろう。
正直いって昔の賛美歌の方がレベル高いから若い人でも聞きやすいのだ。
死にかけのじじいばばあの天国への土産として信仰に燃えていた若き日の賛美歌思い出させてもバチはあたらないと思う。
ついでに熱意ある若者ほど最新の○○を賛美にとりいれようとするが、その前に過去の素晴らしい楽曲を掘り起こしてから考えよう。
大概、新しい音楽の開拓は天才の仕事。凡人にはムリ。グレングールドですらバッハである。
過去の遺産を取り入れてアレンジして感性を磨いて行った方が早い。
あんたら大嫌い美輪さんの「ヨイトマケの歌」をサザンの桑田や槙原が米良が敬意を持って歌いなおしたように。

賛美は心がこもったらいい、神様が喜んでくださったなら、それが一番という。
だったら、教会でいやらしく金取らないでトイレで鼻歌でも歌ってるかただで内輪で配るかyoutubeにでも放り込めばいい。
再生回数を見てどれだけ自分の歌が必要とされてないかはっきりわかるだろう。
正直聴く方としては心こもっとらんでいいから、せめて技術と知性と感性だけはと思う。

まあ、クリスチャンだけではなくノンクリスチャンの世界でも同じことで、アンチキリストで有名な
イギリスの大物ミュージシャン、ポールウェラーさんも、昨今の歌詞に
「全てボーイフレンドと別れたってことばかりじゃないか。いい加減にしろ!世界で何が起きてるか見てみろ。神について書け。愛や死について書け。戦争や人々のことを書け」
とお怒りのようなので、世界的傾向と呼べるのかもしれない。

クリスチャン的に言えば、
「全ててめーと神様とのデートの報告ばかりじゃないか」という所か。ちまたの西野カナさんとかのこと笑えないよねー。


コメント(35) 

自分なりに行ってはいけない教会の基準をかいてみた [ちょっとしたキリスト教の話]

クリスマスの時期である。
そして冗談じゃないぐらいコミケの締め切りが近づいている。
なので、クリスマス&コミケが終るまで更新はほとんどしないことを宣言し、
ついでに箸休め的な記事を投下してみる。

先日、「行ってはいけない教会」スレについて紹介したが、今回は
自分なりに行ってはいけない(行かない)教会の基準を発表してみたい。


1 年寄りがいない

年寄りばかりの教会も考えものだが、若者だけの教会はもっと考えものである。
年寄りがいつかない=牧師の暴走を防ぎきれずカルト化しやすいという面もあるが、
年寄りがいつかない所は信仰的に浅いというか何か抱えていることが多い。

地方のさびれた教会や伝統のある教会では「信仰生活70年」とか「生存すなわち信仰」のような
死にかけたじじいばばあが教会の隅っこの方にちょこんと座っているが、
この天国に最も近い枯木のようなじいさんばあさんが教会選びにおいて最も重要である。
彼らは歴戦の猛者である。私は信仰生活は戦いであり、ある種職人技のように年月を経ないとわからないものがあると考える立場である。
我々若輩者が「福音派ダメポ」「十一滅びろ」「若者の教会離れ」「カルト撲滅」などさも世紀末のように
叫んでいるが、そんなものはとっくの昔に議論されつくして、
昔は「共産主義ガクブル」「若者おらんダメポ」「バルト師ね」「戦争責任」と熱い激論を交わし、
散々この世でも教会でも辛酸を舐めた後、それでも動かん身体を押してまで日曜日に教会に集まる。
じじいばばあが多いということは信仰生活が長く経験豊かな年寄りが集まるだけの「何か」がある教会ということである。

2「リバイバル」「弟子訓練」「メガチャーチ」と熱心すぎない。

私は教会は「凡人の凡人による凡人のための集まり」と思っている。
だから特別な賜物をもったカリスマ牧師によるカリスマ教会を必要としない。
というか、この単語の目指している所がはっきりいってよくわからない。
大抵この手の言葉を頻発する牧師は欲と信仰がごっちゃになってる場合が多い。
20~40代の牧師で特に子供が小さいと「子供にだけは苦労させたくない」と欲が出る。
欲は信仰に勝つと、上記のような単語が口から出始める。

3 会計がしっかりしている

神様に捧げている自信があるのならばしっかりカウントして公表することだ。
つか会計報告もなく、組織を経営するつもりであるほうが一般常識では考えられないのだが、
世間ではこのような教会が多数あるらしい。

4 十一献金義務付け&牧師の子弟が海外の大学留学でそのまま親父の教会に就職

どちらか一つだけでも大抵ろくなもんじゃないが、二つタッグだと究極のハズレ教会である。
子供が優秀ならば救いがあるが、ぼんくらだったら悲劇である。

こういうアホの背景には必ず自分の子供にだけはあまい牧師夫人がいる。
高級住宅地に建っている教会以外、十中八苦牧師の家庭というのは質素倹約が旨である。
牧師の信仰の度合いを見るには子弟の教育を見るのが一番よろしい。
信徒も信徒で「天に宝を…」とかいって騙されて、貧乏人の分際で自分の子供の教育費をさておき、十一献金をし続けるなど愚の骨頂と思う。
牧師が天に宝を積みたいから、自分の子供は高卒でブルーカラーに甘んじさせます、と言うかという話である。言わないのならそれが結論である。
「天に宝を積む」は「この世の宝を放棄しなさい」じゃないと思うがどうか?
十一献金については、個人の自由だが神様を試してまで祝福を受けたいとも思わないのでしない。

海外の神学校は、フラーやオックスフォードの有名大じゃなく、ボンクラ神学校なら国内で充分である。
というか、牧師も牧師で神学校のための献金なんぞ教会で募るな。みっともない。
また献身決めたら教会に頼らずにバイト&仕事で貯めてろ。汗もかかずに似たもの同士で遊んでいて自分で金も稼がんとが出来るか。
貧乏だったら恥をかくのが仕事である。金がない人間はどこの世界も昔から汗をかいて学費を貯めたもんである。
ただし、聖書学者になるのならば話は別で、その場合最低旧帝大卒以上の学歴は望みたい。
神学含め学問は一定の偏差値も超えられんバカのためにあるものではない。


2 チャーチスクール・ホームスクールを推奨している。

熱心なのは認めるが、この手の学校で、HPや募集要項に学費等の明確な記載がないところは教会の運営資金調達のために開かれていることが多い。
またホームスクールは個人的には、進学実績や企業への就職実績などが公開されないので、子供を預けるにはリスクの高い博打みたいなもんである。
HPでも「聖書的」だの「神様の愛」「世俗化を防ぐ」とか結構なことだが、主張しているのがホームスクールの子供は「IQが高く・・・」と目的がもろに世俗的で、二枚舌なのに気付かない鈍感さが垣間見れて現時点では信頼に値しない。
私立学校真っ青の学費(献金)を納めて、行き先は就職先がなく献身者になるか海外脱出かという感じだが具体的にはどうなのだろうか。
ただこの「空気嫁教」の日本において、独自の路線を貫く姿勢は評価したい。が、
非難されるの覚悟でいうが、ご近所さんとしては子供含めて正直あまりお付き合いしたくないのが本音。


こう書いてみるとつくづく自分の基準が「金」であることが情けなく思うが、
これは「金」と「子供」にまつわる話が一番人間性が出るという経験からの偏見である。

すなわち教会というのは、「年寄りと暇な主婦と少しの熱心な若者が中心」で「若者こないどうしよう」と悩んでいるぐらいが一番バランスがとれている状態といえる。
教会に幻滅しないためには、経済的にも人間関係的にも「疲れない」ことが一番肝要である。
イベントが多い、伝道熱心な教会はとかく奉仕がきつく疲れやすい。
洗礼受けたばかりの熱心さとかは大体1年もたてば消える
消えた後の長い信仰生活を支える教会というのは「葬式」「老人会」だと揶揄されようが、
結局はいるだけで苔が生えそうなオーソドックスな教会が無難だといえる。


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