So-net無料ブログ作成

クリスチャンの伝道団体(1)人に汚れ仕事を押し付けといて地の塩ww世の光ww [クリスチャン業界の下世話な話]

さて、伝道についてである。
我々、クリスチャンは「伝道」という言葉をよく用いる。
そもそも伝道とはなんだろうか?
この度は、まず「悪い例」をあげて二部構成で暴論を吐くことにする。

教会に所属していればたまに「伝道団体」とかが出入りすることがあるだろう。
聖書を配ったり、路傍で語ったり、インターネット伝道という方法もある。

今回はその中で大学伝道というものを取り上げる。
誠に気の毒だが、積年の恨みでかなりぼっこぼこに書いているので心臓の悪い人は手軽にサタンと呼んでこちらにお祈りして頂いても構わない。


KGKというのがある。なんでも大学の「伝道団体」ということである。
福音派の教会なら、大体必ずこれの関係者がいるもので私も過去何人も会ってきた。
しかし、どいつもこいつもいうことが本当にたいくつというか平坦極まりなく、いや所属じゃなくて、その態度は人としてどうよ、と思うことが何年も続いて、私はこっそり「燃えない落日とか「セックスしたい聖書同好会」など暗に呼んでいる。

なんというか個人個人はすごくいい子ちゃん達なのだ。この不景気の現代において聖書を読むためだけに集まるのだから顔付も見ていてよいクリスチャンのご両親に育てられたまじめで普通の性格の人達である。
なんかださい同人誌のような冊子を使用し、一生懸命受験勉強に励む学生のように勉強やら読書会やら続けている。
その姿を見るたびに「大学生になっても「聖書チャレンジ」」「終らない受験勉強」という言葉が浮かぶ。いつ試験に合格するのか楽しみである。

しかし、どこの所属にも熱心党がいるもので大体はおばちゃんの余裕ではいはい、とかましてきたが、
この団体の熱心党の奴らだけは本当に腹に据えかねることが多い。

彼らはよく自分のサークルについていかに素晴らしいか語る。

KGKは超教派の集まりで垣根をこえて聖書を…とか
KGKは皆様の祈りに支えられて60年の伝統が…、とか、
主事達は本当に一生懸命でとか、
婚前交渉についてこのテキストを読めば聖書的ですよ!
とかまあ楽しそうである。

それはそれは、と世間話ついでにクリスチャンの話を持ち出してみる。
例えば「○○大学の神学部にとても活躍しているクリスチャンがいるらしい」と言うと、

「あ、その大学リベラルだからダメですー」

終 了。それから先話も聞いてくれない。
またYMCAやカトリックを堕落しているだの、リベラルだの天皇制だの散々批判しといて、自分達の団体は創立「60周年」だからと「歴史がある」と主張する。
それは京都の企業にうちの会社は創立100年の老舗ですと吹聴して回るのになんら違いがないものだが、堕落を主張できるなら、それなりの知識があるだろうと、「でもあそこって代母さんとかあって面白いよね~」とか振ってみると、

「ダイボって何ですか?」

基本的なシステムすら把握していない。
500年、2000年、と続いてきた歴史を尊重しないで、ぽっと出の新興団体が聖書片手に自らの「正当性」をドヤ顔で主張する様はバカなのか本気なのかわからない趣深さがある。

主事達は本当に一生懸命で…、ならばそうかと一生懸命参考のためにその主事とやらのブログを見ると、

大体

「自分達はあっちこっち大学に出かけていって伝道してますよ!お祈り(献金)ください」
「どっか(大概超安全なキリスト教国)留学した。外国のKGKと交流した」
「結婚成功!子供かわいい勝ち組!」



の内容がないように加えて、皆一様にPaypal(こういうシステム取り入れるのは早いのね)を用いた献金の窓口を自分のブログの目立つところに貼り付けておいてブログのコメント欄は閉鎖したまま(ちなみにmixiなども非公開である)という「金は欲しいけど意見は聞きません対話しません」的な伝道団体にあるまじきお話にならない体質が透けて見える。

よく「用いられている」「奉仕」とかいうが、その奉仕としばらく見ていたが、大抵「献金のお願い」を全国各地に郵送するお仕事というから笑えない。

婚前交渉についてのテキストを見ると、
「マスターベーションがやめられない」「ポルノを見て性的興奮しちゃうどうしよう」

母親に筆おろしまで頼む気かてめーで解決しろ、というほどアホな悩みを大学生にもなって「わかち合う」。

話は変わるがうちの母親はノンクリだ。しかしキリスト教には寛容な方でまた読書家である。
実家に寄った際、いつもの調子でこの冊子を見せたところ、

「こんな、気持ち悪い本を年寄りに読ませてから!歪んだ性欲が透けて見えて気持ち悪い。触りたくもない。今から燃やしていい?

カンカンに怒って電話で怒鳴り込み、始皇帝以来の焚書に乗り出す始末。

結局このKGKという「伝道」団体が、人を通して冊子を通してネットを通して罪人の「私」に、ん十年かけて伝えたこととは、

主に牧師の子弟などのクリスチャンホームⅡ世、三世(ボッチぎりぎり)が親に言われてなんとなく信仰を持ったけれども、いまいち救われた実感がないあやふやなアイデンティティを補強するために、受験勉強の延長で聖書を「勉強」し、似たもの同士で傷をなめ合い、キャンプや会などを通して「サークル内でいい条件の相手」を見つけてセックスせずにいかに早く結婚するかを競争するのを最終目的とする。

んだな、という「感想」である。

まあ、学生だからよい。なんとなく不安なのはその次だ。
将来の夢はときくと、判に押したように「クリスチャンホームの形成」で、あとなんだか漠然とした「この世の光となって聖書的な福音を…云々」である。
そのために何をするのかと、ん十年職業選択を見てきたが、

大概「日曜日の礼拝を守るため」

公務員、教員、電力会社、日本型老舗企業等、医療関係、自分のうち(自営・教会)を継ぐ。
とにかく楽な仕事につくために全力で試験を受ける。またこいつら聖書まで受験勉強の要領でこなすものだからテスト系はめっぽう強い。 
献身する奴らはまあその中で骨がある方だ。
KGK出身の献身者の最大の欠点は、聖書に忠実なのは結構だが、説教が大学のレジュメのようで、まるで生きた血肉が感じにくいことである。
日曜日組んだりであの退屈な大学の一般教養「キリスト教講義」を受けた気分になる。要するにテストに強すぎるのだ。

かくてこの世に勝利し、ホワイトカラーの称号を勝ち取った。彼らに言わすとこの世と妥協せず信仰に打ち勝った勝利者であるという。職業選択は個人の自由だから別にいい。問題は、

この覇気のない夢もない若者達が福音派のいう聖書的な信仰の模範、モデルなの?

という点だ。

日曜礼拝に参加できない、クリスチャンとしての職業選択に失敗した敗者は「この世との妥協」「お金の奴隷」「本当に神様の方に向いているのか」等々、メッセージに冊子に子供、学生に60年伝えた結果がこれなのか、と十数年ここの学生を見てきたが暗澹たる気持ちになる。

まともに頭が働く読者ならわかるが、こんなものは「戦い」じゃない。
「イス取りゲーム」でイスを取っただけでさらに「信仰」名目でそれ以外をタコ殴りにしているだけである、

私は正直結構だと思っている。

このような若者が伝道wする限り、日曜日の仕事を肩代わりさせられ挙句の果てに奴隷扱いのサラリーマン、教会の奉仕にPTAや親戚の集まりをほっぽり出す主婦を見た人々は、子々孫々まで「クリスチャンにだけはならぬぞ」と決意を新たにすることだろう。
ルターのような、ジョブズ(仏教徒で残念でしたwwwwwww)のような改革者は1000年たっても現れないから
これからもどうぞ「この世に何の影響も与えない団体」「燃えない落日」として静かに沈みつつあって欲しい。つーか昇ってくんな。

 

 

 ついでにYMCAは「ちゃらんぽらんでボランティア好きが多い」のふつーのサークル、CCCは「気がつけば風のように外国にいっている」というイメージである。
前者はまあ普通の若者、後者はいつのまにかどっかに行ってるので忘れたころに「献金のお願いの封書」が回ってくるので深く関わっていない。
深く関わっていたら、今回の団体のように、糞のように槍玉にあげていただろう。運のよさに感謝するといい。

 

伝道については(2)に続く。私はクリスチャンなので週末は忙しい。記事は週明け。

 デポーションにはこの毒麦をお使いください↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

 

 


コメント(25) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。