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いのり☆フェスティバルなるイベントが行われたようだ(2)今の教会は若者にすすめられるか? [クリスチャン業界の下世話な話]

さて続けて、いのフェスとコミケの話である。

コミケにはいろんな人がいる。

男性、女性、トランスジェンダー、無職、ニート、医者、ゲイ、レズ、バイセクシャル、主婦、
風俗嬢、AV女優、自営業、弁護士、クリスチャン、僧侶、創価、モルモン、エホバ。
↑私がコミケに参加して実際にお会いした方々である。

まさに、


>実に多種多様な人々が、それこそ教派どころか

>宗教、思想・信条、世代、性別、職業、国籍に至るまで、

>ありとあらゆる「枠組み」を取っ払ったところで

>フラットに、「草の根」的に出会い、つながれる


場所であるだろう。

大して今回のいのフェス、たぶん


実に多種多様な人々が、それこそ教派どころか

宗教、思想・信条、世代、性別、職業、国籍に至るまで、

ありとあらゆる「枠組み」を取っ払ったところで

フラットに、「草の根」的に出会い、つながれる「可能性」



「可能性」と書くところに氏の洞察力の高さがうかがい知れる。

今回来た200人はほとんど、
キリスト教、福音派(キリスト教)、男女(キリスト教)、サラリーマン(キリスト教)、
自営業(キリスト教)、主婦(キリスト教)、牧師(キリスト教)、教職(キリスト教)、
公務員(キリスト教)、学生(キリスト教)クリスチャンに付き合いで来たその他、というところだろう。


しかしそれでいいと思う。
今や世界一の大イベントだったコミケもイエス様の群れも当初は小さな小さな集まりであった。


さて、「萌え」という言葉を聞いたことがあるだろうか。
説明するのがめんどくさいのでぐぐって頂ければありがたい。
萌えははっきり「肉」の性質であり、罪の性質であるとも言える。

現在、特にコミケなどの場所では、本来ならば主イエスの「愛」にあって一つにあるところが、
「萌え」という価値観によって一つになっている。


本来肉のものだから、萌えは消え去る。
一つの萌えが消えるとまた新たな萌えにうつる。
萌えは愛ではない。愛ではないから乾いてキリがない。
受け取る側も求めていないから、「そういうもの」だと割り切って
膨大な時間と労力をかけて萌えを追いかけ続ける。


人間関係も希薄で、顔を合わせてもHNで呼び合い、

お互いの名前も家族構成の何もしらない。

ほとんどジャンルや売り上げが変わると自然と解消するような友達である。




これはだめだ!本当の福音を伝えなきゃ…フジコフジコ

気持ちはわかる。だが待って欲しい。


それとは対象的に本来真理であり道である主イエス・キリストが臨在する教会では
愛が満ち溢れている。。。はずである、なのだ。
だが、大体どこも信者不足、特に若者がいないと聞く。まあそうだろうなと思う。
萌えは肉のものと先ほど書いた。人間関係が希薄とも。

では若者にとっての教会とは?


人間関係は一見濃厚のように見えるが、顔を合わせても~さんで呼び合う。もしくは兄弟姉妹。

お互いの名前も家族構成は知ってるが、下手に本音を言うと裁かれるので、

うわべだけの軽い付き合いである。悪口も愚痴もダメ。お祈りされる。

ほとんど場合、教派や教会が変わる、もしくは教会にいかなくなると自然と解消するような友達である。



あれ?変わらなくね?

それプラス

酒は一緒に飲めない
(超シャイな民族日本人の「酒で本音を」…という希望はここで絶たれ)、
一緒に「漫画・ゲーム」じゃなく「聖書」
(好きな人にはいいけど学がなく忙しい若者はここでハブられる)
せっかくの日曜日は終日つぶれ
(仕事等疲れが取れない礼拝いけない社会人はここで脱落)
教会ですることはひたすら「奉仕」「奉仕」「奉仕」
(伝道熱心で仕事ができる若者ほどここでつぶれる)
同人の印刷代以上の献金が必要
(貧乏人がここでサヨナラ。団塊の世代の時代は終わりました)

上記は救われていたらいいのである。救われていたら。

ただこのハードルをいきなりノンクリスチャンやひよこクリスチャンに越えろといっても、
それはゲーム初心者に、いきなりPS2版「怒首領蜂大往生デスレーベルモード」ををクリアしろというのと同じぐらい無理ゲーである。


おばちゃんはコミケも教会も長年両方参加している中途半端でクソなクリスチャンだがではない。

今の若い子に教会をすすめる理由が今のところ、ない。

 

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いのり☆フェスティバルなるイベントが行われたようだ(1)何を誰に伝えたい?クリスチャンクリエイター [クリスチャン業界の下世話な話]

端っこは一応クリスチャンなので、クリスマス時期は忙しいのだ。
ちょっとぐらい記事書きをさぼっても大目に見て頂きたい。

さて、サボっている間に「いのり☆フェスティバル」なるイベントが行われたようだ。

いのフェス.jpg

キリスト教界の初のコミケである。
規模的にコミケというよりオンリーイベントといったところか。

主催は、キリスト教雑誌季刊「Ministry」の中の人。
このような腐れクリスチャンに評価されるのも心外だろうが、
つぶやきを見る限りいつも涙ぐましい努力をしているなあと感心している。
季刊「Ministry」の内容、いのフェスのチラシの絵もさることながら、
ポケモンに対抗した「カードゲーム」の開発など、
(ぶっちゃけマーケティングリサーチ手抜いただろと思うデキではあったけれども)
この閉塞した業界を打破しよう!という意気込みが伝わってくる。

さて、敬虔なるクリスチャンにとってコミケとはよくわからないだろうが
コミックマーケット、通称コミケは18禁、ホラー、BL、なんでもありの同人誌即売会のことをいう。
最近は随分商業化しているが、一回のイベントで40万人は動くという世界最大のイベントである。

大きいお兄さんやお姉さんが、盆と年末という日本人なら動きにくい日程であっても、
徹夜(ダメだけど)または泊り込みでやってくるというすさまじいイベントだ。

お盆はともかくクリスマスにいくらチラシをまいても教会員ですらこない教会とは天と地である。

ただコミケに集まる系の人とクリスチャンとは、現在敵対関係というか、
ポルノだめ、BLだめ、だのいちいち空気の読めない偏狭なクリスチャン団体が
政治家使って圧力をかけてくるので、あちら側はキリスト教をあまりよく思ってないのが現状である。

さて、現在のキリスト教界ではこんなに大量の人間を動かすイベントができるだろうか。



はい、せーの!




無理である。

大伝道師数十人とローマ教皇がタッグを組んでもせいぜい数万人であろう。
キリスト教徒が何十億といるのにだ。

理由はおいおい書くとして、ここでは簡単にコミケとクリスチャン業界について書いてみる。

コミケの最大の特徴、それは多様性である。

多様性を認めるといったってコミケの中も金が絡む分、
結構どろどろなのだが、その中で共通している点がある。
それは徹底的な「実力主義」であることだ。
コミケでは下手な絵・話はまーず売れない。
しかしヘタレでも何らかの人をひきつけるものがあれば必ず売れる。

だからといってヘタレなものに価値がないわけではなく、
作品に愛があると、必ず必要としている人がいる。

キリスト教はこの逆で「非実力主義」「排他性」である
キリスト教に忠実であれば、基本クオリティはあまり考慮されない。
ゴミでもパクリでも小学生に失礼なクオリティでも「キリスト教」ならOKである。
ただし、すこしでもキリスト教に反するともうダメである。

どちらがいいとは言えないが、影響力からいって前者の方が人々の心を動かしている事実は
知っておいた方がいいと思う。

コミケはまあ基本的にクリスチャンなら発狂ものの内容のものが売れやすい。
18禁、BL、NL、SF、ホラー…

無論、コミケの中にも主はご臨在されていることだろう。
だが、今のコミケはぶっちゃけサタンさんの独断場というかあえて黙認されているようにも思える。

だからといって

「不健全のものばかり売って!罪!サタン!この世!」

と批判するのは、
短絡的で表面だけ判断しがちな世間知らずクリスチャンの悪いくせだ。

例えば神主と呼ばれるZUN氏の「東方Project」など、すさまじくレベルの高い作品は
同人・商業を垣根を超えた大ムーブメントを巻き起こしている。

そして作者がノンクリスチャンでも聖書を扱った作品は結構聖書を読み込んでいる。
「ヘルシング」「聖☆おにいさん」「残酷な神が支配する」・・・等枚挙に暇がない。質はいわずもがな高い。
クリスチャンが聖書とクリスチャンの本だけしか読まずしょうもない作品を量産するのとは対照的だ。

そもそも宗教だから売れない、というのは、クリスチャンの甘えである。

クリスチャンとは違って、「いいものだったら絶対買う」のが日本人の、またノンクリスチャンの優れたところだ。
そのノンクリスチャンの特性を利用しないのはもったいないと常々思っている。

そしていいものは、意外と神性が、イエスの真理が働いている。
人は神の似姿なので、美しいもの、愛があるもの、真理があるものに惹かれる。
そうでなければ、「聖書」が世界一のベストセラーであり続ける理由がない。

そして、一見不健全に見える作品にも奥にある作者のメッセージを読み取れば意外と隠れた所に神がおられる。

だがそれは聖書だけ、クリスチャンの本だけ読んでいたら絶対にそんな感受性は養われない。

信仰を持って物を描いたり作ったりするならば、意外に素直に目を開かれていないのは
クリスチャンの方かもしれないのではないか?
という視点は大事だ。


人に物を伝えようとする立場にある人間は、自分のできる限りで最大限のクオリティをあげる必要がある。
それが信仰以前に、クリエイターとしての礼儀だ。
「この世」とかいって自分勝手に区切ってこの世側の作品を参考にせず、ロクに研鑽を積まない
くそクリスチャンクリエイターの作品を、なあなあの付き合いで教会が業界でフォローするから
いつまでたっても甘えるのだ。

キリスト業界の本・音楽・グッズがAMAZONでロクに評価もつかないのは、優れているからではなくて、
評価をする価値がないほど「どうでもいい」作品だからだ。
ほとんどのクリスチャンの作品は同人誌どころか「恋空」以下だ。

どうしても伝えたかったら似たもの同士の所ではなく、路上やコミケ、youtube、ニコニコ動画、pixiv、
携帯小説などのアウェイの場所ではないか。
そして堂々と批判されればいい。お前の作品はゴミだと。

批判され、叩かれて、反省し、はじめて伝えること、作ることははじまる。
大体伝え終わった人のところにさらに伝えてどうするのだ?
伝える立場の頭であるイエス様はどうされたか?
いつまでもペテロ達、使徒の前だけでお話されていたか?

そもそも作品を作る動機はなんだ?ほめられたい、伝えたい、どっちなのだ?
前者ならクリエイターはやめよう。向いていない。

それが出来ないのは、結局、自分の作品、信仰に自信がないからだろう。
それを許してきたキリスト業界も悪い。

だから今回のいのり☆フェスティバルはいい取り組みだったと思う。

糞クリからの提案で恐縮だが、2回目を開催するまでに主催者側にはぜひ生身のコミケを体験してもらいたい。
罪の世界とはいえども、人が動くのはそこに何らかの真理はある。
狭い業界内では見えにくいものが明らかになるかもしれない。

大丈夫どんなにコミケが発達しようが商業主義と揶揄されようが、キリスト教は負けない。

すでに主はこの世に勝利しておられるからだ。

 

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