クリスチャン業界(主にプロテスタント)にちょっと言ってみる(1) 児童・青年向けの本の低レベルさ [クリスチャン業界の下世話な話]
私自身、日曜学校の教師をしているのでキリスト教書店に出向くことは多い。
そして行く度に、児童・青年向けの本・音楽・グッズの質の低さに嘆息する。
格調高いっぽいデザインで統一しているカトリックの場合、
「うちはうち!よそはよそ!古臭いリアルな油絵だけどマリア様はマリア様!!」
と、とにかく2000年大体一貫しているのでそれはそれで一つの文化として成立しているが、
カトリックの「抵抗」勢力としてのプロテスタントが今だ迷走しているように見える。
児童・青年用の書籍等をパラ見して、後ろの値段を覗く度に
「そこらの中学生でももっとましな話・絵・曲を書くだろう」
「信仰があれば、質が低くても許されるとでも思ってんのか」
というようなこの世以下の低レベルな作品をバカ高い値段で売っている様は
まるで某同人誌即売会のぼったくりの薄い本を彷彿とさせる。
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児童向け伝道雑誌(某キリスト教出版社)の表紙のキャラと某同人誌即売会の薄い本のキャラと奇妙な類似
(お隣の某赤い大国のことを笑えないし、なまじっか薄い本の絵のクオリティが高いので余計みじめである)
なんとか子供達にキリスト教を興味を持ってもらいたいと試行錯誤をしているのが伝わるが、
「この世」を敵視している割には、中途半端に「この世」をとりいれようとするものだから
結果が悲惨になりがちである。
作品が良くない→売れない→原価を高くするしかない→ますます売れない
の悪循環に陥っているようでならない。
それでも「この世」の人達がどれだけ利益を得るために例え子供向けでも
必死にマーケティングリサーチをしているかなんぞ「この世的な拝金主義」と一笑して考えもしない。
市場が狭く選択肢が少ないことをいいことに、ろくなリサーチもせず低レベルなものを量産して、
売れなかったら、「サタンの作った世界は魅力的だから」と
「この世」のせいにして子供を囲いこもうとする。冗談じゃない、サタンさんに失礼である。
クリスチャン以前に要するにこんなのは信仰にあぐらをかいたズボラなのである。
こんな大人なクリスチャンの、
「クリスチャンなら多少手を抜いても、質がイマイチでも
信仰がありますから買ってくれますよね?ね?」
みたいな拝金主義にも劣る俗悪さは、だいたい子供も敏感に察知していて、
クリスチャンホーム出身の子は小さい頃から家庭の空気を読んでいるので、
こんな作品でも諦め半分で受け取ってくれるが、ノンクリの家庭の子はそうはいかない。
一回、某福音派出版社の子供向け雑誌を他の教師が子供達に配布したことがあったのだが、
後に子供達がそれをこっそり壁の隅っこにまとめて捨てていたのを発見した時は
「子供達の美的感覚は正常だ」
と感心したものだ。
だがそんなこと教会で発言できるはずもなく、教会の子供達(特にクリスチャンホームの子供)には、
キリスト教かそうじゃないかという狭量なことにこだわらず、
ただ、美しいものをたくさん見て触れてくれと祈るだけである。
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クリスチャンの婚活(2.5) 聖☆おにいさんでわかる信仰の立ち位置 [クリスチャンの婚活]
聖☆おにいさん最新刊がAmazonから届いた。
作者の中村光さんが産休中ということで現在休載中だが、
雑誌でリアルタイムに読んでいる私にとっては待望の新刊である。
「聖☆おにいさん」、我がキリスト業界でも話題になった漫画である。
賛否は様々あるが、私はこれをクリスチャン同士の婚活で、
相手の信仰の立ち位置を図るツールとして有効ではないかと思っている。
「ああ、聖☆おにいさんね、読んだよ。ギャグとして面白いね~。伝道に使えるかも☆」
→割り切り派(おそらく多数派)
「イエス様を冒涜するなんて許さない!多神教許容している世界観に云々…」
→生真面目派・もしくは熱心派
「ちょwwww、ミカエルの中二病パネェwwwwww」
→割り切るどころかお前隠れて2chしてるだろ派
適当に分けてみたが、他にもいろいろ反応はあると思う。(読んでない派は除く)
無論、これらの反応が信仰の篤さ・薄さに比例するわけでもないことは前提に置いておく。
仲の良いクリスチャン夫婦に読ませてみたところ、だいたい割り切り派には割り切り派の伴侶、
熱心派には熱心派の伴侶がついているようだった。
私と私のおっさん…?それは秘密である。
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