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発達障害児と教会と日曜学校 [ちょっとしたキリスト教の話]

例にもよって今春コミの原稿に追われているのだ。従って、ブログの更新は遅れることをご了承願いたい。

友「元気してる?」
BBA「うん一応。○○○は教会行ってる?」
友「いや行ってない。インターネットの礼拝をたまに聞くぐらい」
BBA「近所の教会は?」
友「行ってみたけど断られた。もう慣れたよ~。自分だけ礼拝行くわけにはいかないしね。預ける所もないし」
BBA「そっかごめんね」
友「なぜ君が謝るしwwwww仕方ないよー」

転勤によって引っ越したあるクリ友から久しぶりに連絡が来た。
クリ友には、軽度の知的障害及び発達障害がある子供がいる。
元々熱心な片クリ子で独身時代は毎週のように教会に行って奉仕に励んでいた。
しかし結婚後、思わぬ事態が起こった。子供が発達障害児と診断されたのだ。
多動傾向が強く、ずっと椅子に座って大人しくすることができない。人の話もじっと聞けずゲームの参加も難しい。
しばらく子供を連れて教会に通っていたが、ある日それとなく牧師に子供日曜学校の参加を拒否された。子供及び教会員から苦情が来たという。
大人だけ礼拝に参加しようとしても、夫は日曜日も仕事で礼拝を理由に預かってくれる所などどこにもない。
子供を連れて、近隣の教会を訪ねて回ってもどこも子供の障害を理由に参加を拒否される。県内の教会を探して回ったが結局受け入れてくれる所はなく親子は諦めた。

この親子だけではなく、似たような話は何件か聞いたことはある。
「三年間教会ジプシーしてた」はざらで「しばらくいたけど、やっぱり浮いちゃっていれなくなった」
あるいは「聖書のしつけ通りしたらこんな子供にはならない。何でも障害のせいにするな」と言われたこともあるという。

この話を聞いて「ひどい!」と思われる方もいるだろう。
しかし今の教会を見るに、はっきりいって、基本多動及び他害を伴う発達(知的)障害児の受け入れは一般的な教会ではなかなか難しい。
主イエスは「神のみわざがこの人に現れたからである」とおっしゃったが、御業を受け止める人間の力量はまだまだだ。
クリスチャンでも発達(知的)障害児を抱えた親は多くいるだろう。だが教会ではあまり見かけることはないかもしれない。
さすがにこのブログの賢明な読者に「主の恵みがあるからクリスチャンは健康な子を授かるのだ」という鳥頭はいないと思うが、
これははっきり言おう。教会側が初めから門前払いをしていると解した方が良い。
理由は簡単で、会堂は狭いし人数もいないしノウハウもない。
大人しい子ならば礼拝の時も邪魔にならないのでなんとかなるが、これが他動や外に出すタイプの障害児だとお手上げになる場合が多い。

だからといってこれを聖職者のせいにするのは簡単だがやや早計に過ぎる。
今の牧師というのは、年々減り続ける教会員をなんとか引き止めるのに精一杯&自分の食い扶持稼ぐのにやっとだ。余裕がある状況とは言えない。
そのため、現在いる教会員のニーズにできるだけ応える必要があり、その障害となりうる(例えば礼拝中に騒ぐ等)のは
あらかじめ排除しておくというのも教会を守る責任という意味で否定できない。

日曜学校があるじゃないか、という人もいよう。冗談じゃない。
CSの教師として一言言わせてもらうが、今の日曜学校は「くそつまらない聖書のお話&ゲーム」をありあまる我慢強さと大人びた諦念を兼ね備えた選ばれし「クリスチャン予備軍」が対象だ。この日曜学校のつまらなさを我慢できるというのは、一般の生徒よりも割と要領が良く、まじめであると解していいだろう。

カトリックには幼児洗礼というものがあるが、プロテスタントにはない。
プロテスタントでクリスチャンになるためにはある程度「救いの確信」が必要だ。「救いの確信」というの理性的判断に基づくものが多い。
そのためには聖書を読むもしくは学ぶという姿勢が重要視される。
当然日曜学校も「いかに聖書の価値観を継承してもらうか」に力点を置き、「暗唱聖句」や「聖書のお話」などで「御言葉を学ぶ」機会を多く与える。
「聖書を学ぶ」姿勢を打ち出す聖書主義の教会ではわりかしこの傾向が強い。
問題はこの「聖書の御言葉」を覚えるのに困難な児童に対する福音である。

よく厳粛な礼拝風景を見て、子供の礼拝の大切さがわかり、静かに神様を仰ぐ幸いを学ぶことができました的な文章が「理想的なあるべき教会の姿」として紹介されることがあるが、聖霊の賜物なのかそれとも教会の「人為的配慮」の結果なのか、よく考える必要がある。

たまに私も外見上では普通に見えるが話すと?という感じ、いわゆる「目に見える恵み」が見えづらい
子供障害児及びその親に対しては次第に「来ても仕方ないよね」という気持ちが抑えられなくなる時がある。
言葉で言っても通じない、命令もきかない、普通のしつけでは対応しにくい、御言葉も覚えない……という姿を見ると、内心では焦るのだ。

「神の恵みはどこに?」と。

障害が証になるどころか礼拝の妨げになる。しばらくは「善人の鉄仮面」をはめて我慢するが、実際にそういう子供と接するとごまかしがきかない。
信仰生活が長い人ほどこういう子供相手が一番面倒くさく、おためごかしも通じないのを知っているのでうまく距離を置く。
だが距離を置けない人は証にもならず礼拝の妨げになる子供を見る度にイライラする。
ここら辺で「来ても仕方がないのでは?」という損得感情に似た気持ちが沸いてくる。
そして、
「しつけが悪いんじゃ」
「祈りが足りない。聖書のしつけを実践していない」

その結果、子供と親が段々孤立していき、失望して教会を去ってしまう。

ここで落胆した親を待ちうけるのが俗にいう新興宗教でキリスト教の中でも「癒し」や「悪霊を追い払う」ことで「○○が治った!」とあおりたてる教派がある。
大体そういう所はカルトっぽくて、数年もたてば「異端撲滅」とか「この世の悪霊」とかいうあちゃーなクリスチャンになるが、
普通の教会に行って白眼視されるよりは親にとっては幸せなのかもしれないなとも思う。


子供の担当はCSの仕事だろう。奉仕引き受けたんならきちんとお前が対応しろや!とお怒りの方もいるだろう。
誠にごもっともだが私を含めてCSの教師は信仰だけはあるが専門的知識もない「素人」なので、正直くそまじめなクリスチャンホームの子供ぐらいしか対応できないのが現状だ。

ノウハウもなければ金も出ない。その上ちょっとでも子供が粗相すると遠まわしに抗議される。
「そんならお前がしつけしろや」というぐっと言葉を飲み込んで少ない人数の中報われない奉仕を続けているのだ。


私の意見としては、申し訳ないが、現在の教会でも「優秀で証になるような子供」が「世の光」っぽい所があるので、その辺はご了承いただきたい。
個人的には教会の日曜学校に時間をかけるよりは、将来一流企業の障害者枠に就職できるよう30分も惜しんで専門機関で療育をした方が子供の将来のためにはなるように思う。
あんまり日曜学校にきて普通の子供と接することで、理解を求めるもしくは子供の刺激になると過剰な「夢」は見ない方がいい。

しかし、基本悲観主義で現実主義の私でもたまにこう思うのだ。
優秀でクリスチャンホームを作って教会に奉仕する人間を量産して、どうなるのかな、と。

キリストの体である教会は美しくなければならない。確かにそうだ。
しかしやもすると考え方は「(自分の信仰に合わない)異物はがん細胞として切除する」という考えに容易に転嫁するのではないかと危惧している。
サタンを排除し、異物を排除し、この世を排除し、聖書を読むだけで最後に残るのは何だろうか。

こちらが調子にのって「この世」を排除し続けた結果、この世の方がキリスト教を無視しつつある。
たぶんキリスト教がこの世の価値観に否定的な対象として執着しているほど、この世はキリスト教をもう必要としていない

優秀でクリスチャンホームを作って教会に奉仕する人間を量産することで
世の光とする「クリスチャン功利主義」によって得られるものは何か。ここ最近考えている。


コメント(34) 

コメント 34

元モルモン

他の記事も読みましたが、感性や考え方が自分と似てるので驚きです。

また寄らせて頂きます。
by 元モルモン (2012-02-11 00:22) 

元モルモン

他の記事も読みましたが、考え方やものの見方が自分と酷似してるので驚きです。私も実質的に世で役立つ要素をや意味合いを教会に見出してません。

また寄らせて頂きます。


by 元モルモン (2012-02-11 00:29) 

シロヤマ

 こんばんは。私の子供は健常児で、幼児洗礼を認めているプロテスタントの教会で赤ちゃんの時、幼児洗礼を受けました。その洗礼式の中で子供が将来、自ら信仰告白に至れるよう教会全体で養育していきましょうという教会員に対する誓約がありました。子供が2歳頃、とてもバタバタするようになり、当時礼拝中にいかに子供をバタバタさせないかということで私の頭の中は一杯で辛い思いをしていました。幼児洗礼を授けて下さった牧師夫妻は「こんな時期は永遠に続くわけではないからね。」と理解があったのですが、まもなく若い牧師に変わり、その牧師に「イギリスには子供が落ち着くようになる中学生になるまで教会に来ることを禁止する教会がありますよ。」と拒否され、家に帰って泣いた悲しい出来事をこの記事を読んで思い出しました。
by シロヤマ (2012-02-11 21:46) 

一重まぶた

こんばんは。はじめまして。
僕が行っていた教会学校にはダウン症の友人がいました。
だから、どうだということは無いのですが思えばキリスト教は健常者にしか赦されていないのだなあと、思う時があります。
全ての人に福音を伝えなくてはならないという教派の人達には障碍者のことをもっと考えて欲しいなと思いました。

by 一重まぶた (2012-02-12 02:40) 

けろちゃん

こんばんは~
うちの長男はとてもちびちびで生まれて、発達上のでこぼこや問題を抱えながら成長してきました。彼がとても小さな頃、会堂で粗相をしてしまったりすると「しつけがなってない」と彼を囲んで叱った大人たちもいたし、7歳くらいまで多動傾向が強かったので、私を責める人も確かにいたなあ。

長男も傷ついておいつめられてしまい、心理室に通院していたこともありました。私自身の弱さから「みんなが悪いんだ」と母親であることを棚上げしたことを医師に訴えたら「キリスト教って愛の宗教じゃないのか、子供をこんなに追い詰めてそれが愛なのか?」って怒鳴られた。私の弱さも「教会がどうの誰かがどうのじゃなくて、子供を守れ!」って叱られて、私自身の甘さや汚さ(私が悪いんじゃない、この子のせいなんだ!って考えていたから)に気がついて。ただ、その時かかわったさまざまな人への私の気持ちの中に、許せない気持ちもずっとあって、それは信仰生活の課題のひとつになっています。自分のことも許せなかったし…

その後、転任してから教会子供会をずっとしていたけど、複数の発達障害児、またその傾向のある子供たちが礼拝に来たり、子供会に参加してくれるようになりました。確かに大人の中にはそういう子供を煙たがる人もいるけれど、成人の信徒の中にも複数の知的障害者もいるので、いろいろ考えるよいきっかけになったと思います。

子供会の方では、子供たちはもっとストレートだし、うちの子供会は近所の子供ばかり集めているので(キリスト教の背景のあるのはうちの子だけ!)たとえば会の途中で発達障害のある子供が叫んだりとか、理解しにくい自分勝手にみえる行動をとったりすると「出て行け!」とか言っちゃう子供もいるんだよね。それを連れてきた母親が目撃することもある。言われた子の母親が、言った相手を問い詰めた、なんてこともあったし…。(でも気持ちわかる。)確かに、こちらの言葉が通じない、何をしたいのかわからない行動が多い、とかさまざまなことがあるんだよね…。でも、彼らも「誰かに嫌なことを言われてる」「あっちに行けと嫌われている」ことを肌で感じ取っていると思う。長男のことで特にそう思いました。「ママが僕を見て悲しそうな顔をする。生まれてきてごめんなさい。」って泣いたのね。

教会子供会で人気のあるお話のひとつに「靴屋のマルチン」がありますけど、私自身は、そういう子供たちは、このお話のように教会に来てくれたイエスさまだと思うの。あのお話の中には貧しいかっぱらいの子供も出てくるんだけど、マルチンはその時はそれが「今日あなたのところへ行くよ」と言われたイエスさまだとは気がつかなくて、親切にしてからあとで「かっぱらいの子供も、おいかけたおばあさんも全部わたしだよ」とイエスさまに言われて、そうか!って思うお話だった。理想だ!っていう人も確かにいるけど、私はきっとそうなんだと思う。

教会子供会にイエスさまがきてくださった、あの発達障害の子たちの姿をして、って考えてみた時が何回もあって、そうしたらいろんなことを考えることができた。もちろんまだまだ未熟なんだけど…。

どんな子供にも「私の目にあなたは高価で尊い」と神様は言われていると思うの。教会の床に油性マジックで落書きしちゃった子供もいたし、クイズ大会でメガホンをとりあげて叫んだ子供もいたし、誰かをどついたりどつかれたり、ああもう!どうしよう!って思う日もあるんだけど、でも神様はその子供を大切に大切に思われているんだな、って感じることができる。

端っ子さんが今苦しまれているのは、きっとそれを肌で感じておられて、でもそれに対抗する勢力?が大きいのじゃないのかな…と感じました。端っ子さんが考えてくださったり、いろんなことをぶつけてくださるの、すごくすばらしいことだな、と思います。きっとこういうことを気がつかないですごしちゃうことのできる人もいるだろうし、でもみんなでシェアすることができたらいいな、と思います。長々ごめんなさいね。ありがとう。
by けろちゃん (2012-02-12 03:50) 

パンダ

私も日曜学校の教師をしています。
うちの教会にも、障害があり、メッセージ中や分級の時に、じっとしていられない子供がいます。
でも、牧師も日曜学校教師も彼を受け入れています。
他の子供たちには「きみが神様の創造物であるように、彼も神様の創造物なんだよ。」と教えています。
by パンダ (2012-02-13 18:41) 

元モルモン

貴方は神の被造物だの言ったところで、ADHDは大人しくならないし、飛び回り騒がれ周囲に忍耐を強いるのは良いとは思えない。定形発達者と多動や衝動性の強い発達障害者では、理解の程度の大きな差がある。

他の子供と同じ様に出来ないから福祉機関や医療があり、特別支援学校がある。障害児と健常児を部屋分けやクラス分けするのが妥当です。
どうしてこうも綺麗事を通したがるのか。本人にも苦痛でならないのに、ましてや周囲も気が散ってしまうではないか。

神は平等に愛されてるが区別するのを嫌がり、健常と同等を要求される状況に置かれる子供はどんな気持ちなのか?

大人の信者の中に感情や情動を抑制出来ず奇声を上げる精神病者やチックや、手足の不随意運動が制御不能なアカシジアやミオクローヌスがいたとしたらどう対応するのか?

障害や精神疾患を患っている状態では、健常者や健康な正常者と同席したら、迷惑を掛けないよう本人は物理的に距離を取ったほうが落ち着けます。

学校をキリスト教業界の教室(教会そのもの)の様にしたら教育は健常者限定となります。何故か判りますか?

障害の種類や程度や特性に応じた環境でなければ子供も大人も適応できず、隠れた才能や素性の良さが発揮できません。

自尊心を教会で失わせてでも教会に連れて行きたいクリ夫婦は何様なんですか?自尊心の無い者は「お前は俺の犬になれ」と言うと犬を演じてくれて床の唾も舐めます。

クリスチャンは綺麗事しか考えないようだが、知的障害、精神障害、身体障害、カナー型自閉症、サバン型自閉症、知的障害を伴わない発達障害(高機能アスペルガー)、アルコールや薬物に起因する障害、PTSD、クリに多い強迫性人格障害等々を調べ対応の仕方も学んでください。

綺麗事なんぞは核のゴミに匹敵する諸悪の元凶だと痛いくらいに判ります。言い換えれば、無知ゆえに苦痛を与え続け間違った方法を選び続けたと言うことです。

クリの話は実りのない話ばかりで世はキリスト教を嫌悪するか蔑んでますが、世の目線と基準は正しい。クリスチャンこそ世から学んで下さい。

地の塩、世の光?ふざけるな!核のゴミ、見えない放射線ですよ!御伽噺を信奉するクリスチャン諸氏には耐え難い憤りを禁じ得ない。
by 元モルモン (2012-02-16 02:15) 

創造論は問題です

「異物を排除する」というのは、人間の集団には、ままありがちなんですが、かつて私の所属していた福音派教会も、なにげに「異物」を排除してましたね。

ハッキリ言葉と行動で排除している方々も中にはいらっしゃいましたが、大多数は無言と無関心による排除です。

むしろ、じっとしていられない子供だったら牧師や日曜学校教師に受け入れられるのでしょうが、大人で異物だと、「無言の排除」に遭いますね。

人間が作った「宗教」なんかをアイデンティティにしてはならないという教え(福音)が、いつのまにか逆転して、「宗教」がその人(たち)のアイデンティティの中心になってしまうと、異質なものの排除が起きるのでしょうね。

それを「原理主義」というのだと思いますが。

「自分は奉仕も献金もして家庭も守り社会的な責任も果たしている立派な信徒だ」というアイデンティティの立て方が、福音とはまったく逆の方向に向かっているのではないかと思う次第です。(そういうのを「パリサイ精神」と言うのではなかったか?と。)
by 創造論は問題です (2012-02-18 14:29) 

ピーちゃん

教会に集うクリスチャンは普通に疑問や問題点を感じながらクリスチャン生活を送っています。
また、教会に集っています。

教会に起こるさまざまな問題点・原因・解決策・対策・問題点に対する顛末・処分を書いてくれるとうれしいです。

発達障害の事に触れているので少々記載しますが、高機能(アスペルがー)の人々の考え方や行動ってもの凄く攻撃的になったり、自己中心的な物事の捉え方になりがちです。クリスチャンにもいろんな方がいるのだと思います。すべての方がそうではありませんが…

他者との関係をうまく築くことが苦手な方が多いような気がします。

しかし、神の愛の中で生かされ愛されている私たちの身分と特権、キリストの花嫁として召しだされた恵み。この素晴らしさを喜びつつ感謝しつつ歩んで生きたいと思います。

どんな障害を抱えても神の前には皆が平等であることを信じています。人の働きは不完全で、問題点の解決や対策を考えながら神に愛されたクリスチャンとしてポジティブに歩んでいけたら幸いです。
by ピーちゃん (2012-02-22 20:56) 

元モルモン

奇声を発したり妄想を根拠に因縁を付ける人には専門医受診を勧めました。病気以外の障害も福祉機関で訓練を受ける事で、生活する上での障害が減ることも多々あります。

助言も進言も聞き入れず悪化する人もおり、それを信仰だとか言う人は迷惑かけ放題です。求道者や新会員に恫喝ともとれる暴言を吐き、注意されても「イエス様が・・聖霊が・・」こんな調子です。

ライオンに伝道して大怪我したバカ野郎とレベルも論理も同じと言える馬鹿げた話ですが、愛に基づいた行為でしたら「指を咥えて見てるだけ」ってのが横行して狂気の宗教って印象を抱きます。

教会が何の教育機能も待たなくたって久しいですが、昔の寺子屋でも十分果たせた役割を、キリスト教会は果たせないどころか「愛」と云う言葉を使って、怠惰や甘えや逃避の正当化と助長をするばかりです。

病院や訓練機関を紹介して専門家の治療や訓練を受ける事から始まります。周りの信徒も病気や障害に関する知識を持つ必要がありますが、意外とこれが蔑ろにされており用語も通じません。

教会ではありませんが、再三の助言や注意を聞かず、症状があまりに酷く親も障害や病気を殆ど知らないまま放置して来場した親子や家族に「他の人が聞いてられない、何回も言ったでしょ」別室に移動させられました。

一人の利かん坊のために、100人の聴衆や会衆が軽んじられるのは、教会だけに止めて欲しいです。抑えられない症状が出た際は別室が最適です。別室でも話は聞けます。

教会よりも教会外に期待して、外で得られたものを教会で活用したほうが良いです。
by 元モルモン (2012-03-15 00:44) 

りな

いま、大学で発達障害の勉強をしています。ブロクを読んで、色々考えさせられました。これからのこと、祈ってます。また、ブロク読ませていただきます。
by りな (2012-05-27 22:26) 

風に吹かれて

はじめまして
「証にならない」と言い放たれ、それでも通い続けられるタフな人が果たしてどれだけ存在するか、誰かに「証にならないよ」と言い放てる残忍さを全く認識できない教会にはやはり問題があるのではないでしょうか。
使える信者と使えない信者を優しく篩い分けなければ維持できない組織なら、伝道などせず内輪で満足する「キリスト趣味の会」にするほうが主も喜ばれるかもしれない。
邪魔だから、有益でないからと排除する、篩い分けによって誰かが教会を去るとき、イエス様もその人に寄り添うようにして一緒にそこを出て行かれる、そんな気がしています、神の義は出て行かれる方のほうにあるような気が。
この世に在って弱い者を受容する力を持つのはイエス様だけだと思います
by 風に吹かれて (2012-05-30 10:03) 

りえこ

はじめまして。一部の福音派にありがちなことですね。私の母教会も福音派でした。

ある兄弟の末っ子がダウンちゃんでした。ある兄弟は重度精神障かい者でした。

先日久しぶりに母教会へ行ったところ、兄弟の末っ子の姿は見つけられませんでした。恐らく端っこさんの経験されたように、教会から排除されたのでしょう。

精神障がいの兄弟は、必要な薬を強制的に断薬させられ、教会の飼い犬と成り果てていました。

私も母教会ではずっと浮いた存在で、働き始めシフトに組み込まれて行ったら、教会を追放されました。

いまは違う教団の教会に集わせて頂いています。

いまの教会、恵まれていると改めて痛感したのが、牧師婦人が養護学校の教諭であること。そして神学校では牧会心理学が必須科目であること。

私自身も現在は居宅訪問介護と一時与りではあるけれど、老人と知的肢体就学児のお世話をさせて頂いています。

まだまだ駆け出しのクリスチャンですが、いまの教会には三大障がいにカテゴライズされてしまう方が多数います。大人も子供も乳幼児も…。

だからと言って排除するでなく、その道のプロが何人もいて!各々の個性に対応出来るプロがCSの奉仕に、個性ある大人への対応に携わっています。

私自身も『障がい』言う言葉が大嫌いなのです。健常者だって完璧な人間はいません。むしろ健常者であっても『個性』ある人間であっても、神様が造りたもうて下さった生命に代わりはないこと。足りないところは出来る人間がフォローすれば良い。そう思います。

むしろ『個性は神様の御栄光がその人間を通して現せられるため』だと思います。確かに各々の個性に寄り添うには専門的な知識もしかりだが、なによりも愛がなければ…。 ね。


また寄らせて頂きます。
by りえこ (2012-05-31 09:18) 

dango!

私の教会は、アメリカのプロテスタント教会だけど、さまざまな問題を抱えている人が来ています。また口のきけない方や、歩くことが出来ない人が来ていますが、それぞれ自分の感じた思いを、思いっきり表していますね!
例えば、牧師の説教の中で、感動したりすると、大声を出して、神様にこたえていますね!教会は、神様がいて、私たちの愛するお父様と兄弟姉妹にあうのだから、自分の家にいるときのように、素直なそのままのあなたでいればいいのだし、思ったのだけ度、その思いや、傷ついた心を、思い切って告白し、反対意見の人に体当たりしてみればいい!けんかになっても、真のクリスチャンが独りでもいたら、いっしょに祈ればいい!私も、自分の
家族に大変な問題があるけど、神様は、私にいらっしゃいと招待されているので、喜んで教会にいくし、賛美も思いっきりします。牧師も人間だから、感情や誤った行動もあると思います、でも神様は、唯一真の神です、もっと神様の聖霊を信じて、良くない霊が人々の心をかき混ぜていたら、逆に、いのりましょう!
by dango! (2012-06-19 12:28) 

牧師です

今度の月報に、子供伝道のことを書こうと思って、ネットで参考資料集めをしてここに来ました。
子供が大人と一緒に礼拝できることを願っているのですが、まだ実現には至っておりません。以前、子供が礼拝に出席した時に、うるさい!と一番に文句を言ったのは、うちの母でした。自分の孫だけに、周囲の人の目を気にして、そのプレッシャーがこちらに来たのではと思っています。でも、一番気にしているのは家内なんですが。
長女が生まれた時には、子供はうちの子しかいなくて、礼拝後、しつけうんぬんのことを言われたりすると、悲しくて泣いていることもあったようです。牧師に面と向かって文句を言う方はあまりおられませんでしたが、信徒さん同士、特に女性同士だときついかも。ただ実際に自分の子供に福音を伝えてこられた方々は、大変さを理解してくださり、励まされました。自分の子供に福音を伝える苦労をしている方は、あまり文句を言われないような気がします。
現在、他にも小さなお子さんを持つ方々が増えてきていて、家内も、自分がした悲しい経験は、他の人にさせないように!と、頑張ってくれています。
礼拝全部は出れませんが、子供たちには、礼拝の前半(メッセージ前まで)と最後の祝祷の部分に出席できるようにと促していて、子供たちも、大人たちも少しづつ慣れているような気がします。
ただ、末っ子がダウン症なので、この子が大きくなるにつれ、どのような課題が新たに生まれてくるのかと思います。最近、発達障害持つお子さんも増えているようです。どんな子供も、大人も受け入れることができるようになったら、教会は、よりイエス様のからだとしての歩みをすることができるのではないかと思います。
このブログ、大変参考になりました。
by 牧師です (2012-07-31 16:40) 

shop girl

はじめまして。
このブログを読んでとても驚きました。

クリスチャンになったら辛いことがなくなるわけではありませんし、兄弟姉妹であるクリスチャンの言動がとても尊敬できるものではなかったり、傷つけられることもありますよね。

ただ、そんな中でわかるのは、私たちクリスチャンが見るのは、人ではなく神であるということです。
人を見れば必ず粗がありますから。

私が人を裁いたときや悪く思ったときにいつも思い出すみことばをお贈りします。

「また言われた。「人から出るもの、これが、人を汚すのです。内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」(マルコ7:20~23)
by shop girl (2012-09-28 23:30) 

牧師

地域の活動いろいろしていると、人の本音が見えたりしてきて、、、。本音の部分で比べると、やっぱり教会は、人を受け入れる点で、世の中一般に比べるととっても温かいところだと思いました。
by 牧師 (2012-11-07 01:28) 

カトリックですが・・

ビックリしました。私の教会には、知的障害者も病人もたくさんミサにきていて、不自由な人にはシスターが付添しています。日曜学校も、障害で受け入れないなんてありえません。そんなの全く聖書に反しています。
by カトリックですが・・ (2012-11-15 21:47) 

銀銀

初めましてこんにちは。というかこんばんは。

「カトリックには幼児洗礼というものがあるが、プロテスタントにはない。プロテスタントでクリスチャンになるためにはある程度「救いの確信」が必要だ。」
プロテスタントに分類されますが、幼児洗礼のあるところにいます。というか障害という名のつく人のフォローを信仰の表れと見る感じなので今すっごく驚いています。教会によってものすごく違うらしいことだけはわかりました。

確かに多動の子を支えるのは大変ですよね。他害だともう教会ではなくて療育行った方が大事だと思います。コトになったら痛いし。ただ療育センターや病院も土日祝日は普通に休みなので、元気な他の教会員がその多動レベルの子を見るいいチャンスだと思います。個人的には、日本じゃ障碍児を目にする機会が無さ過ぎです。そういう面でも現実を知らないのも問題だと思うんで。

りえこさんに横レス。
>私も母教会ではずっと浮いた存在で、働き始めシフトに組み込まれて行ったら、教会を追放されました。
それおかしいですよ。追放されたっていうか、離れられてよかったのでは…
by 銀銀 (2012-11-24 20:47) 

KK

検索で偶然このブログに参りました。
読んでて気持ち悪くなりました。
要するに子どもが障害者であることがきっかけで(おそらくはそれ以前から)日本での教会のあり方や信仰者グループへの違和感がわいて、それをブログ内で罵倒し倒しているけど、その裏でアーメンの神への信仰も捨てきれないでいて、この両者の葛藤から文体がどんどん過激化していって、そうやって過激で汚れたことば(あえてこう言います)を吐き続ける自分も汚れていっているという自覚も実はあって、論ずれば論ずるほど後に引けなくなり、最後には「そうよ私は汚れた女よ、そんなの分かってるわ。どれがどうしたのよ!?」な自己像を演出していったらいつのまにがそれが地顔になってしまう…何か似てると思ったら攻撃的フェミニズムおばさん文体そのものなんだ。
とっとと神捨てちゃえばいいのにね。
by KK (2012-12-30 06:26) 

NO NAME

わたしは、発達障害を保っていますが、今通っている教会は、すべてを知っていて、わたしを受け入れてくれています。障害への認知度は科学の進歩と共に徐々に上がってきているから、教会の中でも理解は深まりつつあります。

でも、まだまだその点が遅れている教派?教会も、あるのですね。ごめんね。

でも神様は、障害のある人に自ら近づいていって、癒された愛のお方です。きっとイエス様も、あなたのこころの傷みを同じく感じて泣いて下さっているはず。

どうか、信仰だけは失わないでね。そうでないと、神様がさみしがる・・・。
by NO NAME (2012-12-30 12:46) 

えん

はじめまして。偶然通りがかった者ですが
私も教会から追い出された口です・・・神様自体信じられなくなりました。
イエス様の愛もわからない。です。
そういった障害を持ったお子さんをお持ちのお母様にお会いしたことがないですが、なんとも衝撃的でした。
でも、確かに教会は美しく、神様と向き合う中で心と周りの静寂を保たねばならない部分はあるので、わからない部分ではないですが、
なんとも痛ましいです。
つらい、痛い、にくいみたいな心しかないのですが、そんな状態の私は
行き場がないです。
ほかのクリスチャンの方のブログを見たところ、
やはり、そういう方がいて、一週間仕事で疲れて安息日で教会に
来てるのに、そういった方のおかげで疲れる。
と書いてあってショックでした。
わからないでもないですが・・・。

横レスでごめんなさい
KKさんの行ってらっしゃるような教会もあるのですね。
でも、どうなんでしょう・・・。行くのが怖いです。
by えん (2013-01-10 17:01) 

匿名

私も多くの方々と同様、違うことを検索していたのにこちらのサイトが検索ヒットし、お邪魔した者です。

端っ子さんの書かれている事、分かります。もしかしたら私が読み間違いしているかもしれないし、読んで違う事を思い出したりしていますが。

「信仰を求める会」は「静かな会でなければならない」という思いが大きすぎるとこうなってしまうのでしょうね。

私も某宗教の某団体のスタッフをしていますが、障害児ではなくても「はじめて来た場所」で「友達」を見つけたら(飛び込み参加大歓迎の団体なので)、未就学児はちょっとしたすきに大騒ぎしてしまいます。複数のスタッフでずっと子どもたちを「飽きさせない」ようにしないと騒ぎ出してしまいます。

ある時、それでも大騒ぎしてしまった子どもたちを見て、「信仰している、っていっても、しつけが全然なっていないですね」と、まだお子さんがいらっしゃらない方ととうの昔に子育てを終わらせた方に言われました。どちらも新しく参加された方でした。

こちらとしては言い分があります。
全員の子ども達が家で「お話を静かに聞きましょう」と教えられている子ばかりではない、「あっちで皆できちんと勉強してきなさいね」という「目的」を教えずに「ほら、あっちに子ども達がいるから、あっちに行きなさい」と送りだす親もいる、等々。

数年後、この「お子さんがいらっしゃらない方」にお子さんが誕生。
その後話を聞いたら、「もう手に負えなくて大変」と嘆いていました。
1人のお母さんに1人の我が子でもそうなのだから、20人30人の「初めて参加した健常児」を落ち着かせるのがどれだけ大変なことか…

多動等の障害を持っているお子さんのことも、そういうお子さんを持っていらっしゃる方や、そういうお子さんを身近に知っている方は理解があるかもしれませんが、「信仰の場は穏やかな雰囲気でなければならない」と「信じ込んで」いる方には耐えられないかもしれませんね…

勿論こういうお子さんを理解している方々でも、「歳をとって子どもの騒ぎ声がキツい」と仰る方もいらっしゃいますが。
by 匿名 (2013-02-11 16:03) 

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by メンズ 腕時計 人気 (2013-10-04 16:25) 

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tf

 通りがかりの者です。
 日本の教会の現実は厳しいものがあります。クリスチャンは全人口の1パーセントに満たず、どの教会も猛烈な高齢化が進んでいます。
 教会は、現状を維持するだけで精一杯です。現状を維持するために、障害をお持ちの方を排除するのか!とのお叱りはあろうかと思います。
 しかし、あえて言わせていただけるなら、現状を維持しなければ、未来に教会は残りません。
 教会は、困難を抱える人のために汗を流すべきです。この点を譲る気はありません。しかし、現段階では、未来に可能性を残すために汲々としているのです。
 様々な面で教会が豊かになる日が来ることを祈ります。
by tf (2014-07-08 16:56) 

なんだかなー。

自分の、息子も発達障がいがあり、一時期、自ら教会に行けなくなりました。牧師は、教会にただいるだけでもいいからと、礼拝時間は事務室ですごしていた。あるとき牧師の計らいで教会で、何回か教会のメンバーに息子障がいのこと、発達障害の種類など話しました。理解してくれる方が多くいた反面、話し始めると、その場を抜け出す人もいました。きちんとした理解をしようとする姿勢がないのかと、共通理解の難しさを実感しました。

by なんだかなー。 (2014-09-19 09:52) 

ポンちゃんのだんな

私は、最近キリストに目覚めた?40代男です。
しかし、神のご計画や自分が生まれて来た理由、神は私に何を望んでいるのか、そもそも、神は何のために私達人間を作ったのか、と考えてしまいますが、そういう人間の分別では神やキリストはとらえられないのでしょうか。
よくわからないので、全て神にお任せしたいと思いますが、キリストとキリスト教会とは、ぺテロには失礼ですが、直接関係はないのかもしれませんね。
どうも失礼致しました。なお、私はまだ教会に行って1年も経ちませんし、受洗してもおりません。
by ポンちゃんのだんな (2015-03-01 07:44) 

自閉症ママ

良いお話でした。ありがとうございました。
by 自閉症ママ (2015-07-18 02:15) 

こじはるファン

何回も読んでおりましたが、
毎週教会に通っている発達障害者当事者の立場としてコメントさせて下さい。

某財閥系大企業の子会社(一般枠・正社員)→某ゼネコンの子会社(障害者枠・契約社員)→某大企業(障害者枠・契約社員)(在職中)と転職してきました。

28歳の男性です。幼少期に療育センターに通っていました。

まだ、世間では、当事者や福祉関係者、医療関係者が思っているほど、発達障害の理解は進んでいません。(だいぶ進んできたり、知名度が上がってきたことは事実ですが)
当然、障害のことに関して配慮を要求するほど、仕事の範囲も狭くなります。
大企業に勤めるのあれば、健常者の方と一緒に働くことになります。
障害を開示していても、健常者と同じようなふるまいをしなければ、嫌われるだけです。仕事も回ってこなくなります。

健常者の方に近づくために、療育機関だけのトレーニングでは不十分です。
(企業で働くのであれば)
福祉関係者自身も、健常者にどんな行動をしたら不快を与えるだとかの知識が不足しているように感じられます。
自分で、どうしたらこのような障害が緩和されるのだろうかと考えてトレーニングを作ってやらないといけないのです。

したがって、一流企業の障害者枠に就職したいということであれば、
小さい時から、障害者だけの環境ばかりではなく、健常者もいる環境に慣れておいたほうがいいと思います。

障害者だけの環境しか経験させないのであれば、働くこと自体かなり難しいと思います。

療育機関に行くだけではだめで、健常者の方もいる教会に行ったほうが就職しやすくなると思います。色々言われたりすることもありますが、障害者本人のためだと思います。障害者だって改善することが必要なのですから…。

長文・駄文失礼しました。また、コメントするかと思います。









by こじはるファン (2016-04-07 23:12) 

ダウン症のパパ

東京新宿の教会で障害育児の礼拝を始めました。

ダウン症のパパであり、
非障害の子供は、主日学校で神様を出会えるのですが、
ダウン症のような知的障害は、普通の方法では、神様に信仰を告白するのは、
難しいです。そのため、悩みながら教会の認証と協力を頂き、
今年の2月から礼拝をはじめました。

まだ、ホームページの整理ができませんでしたが、
下記のURLを参照してください。
http://www.yohanblessing.com/
by ダウン症のパパ (2016-05-08 13:39) 

中田征行

私の子供も2人が発達障害(自閉症)で次男は、自分のしたいこと意外は、据わっていることが出来ず、4男も軽度の発達障害です。私の教会では皆がわかった下さっているので、大丈夫です。日曜学校にはでれませんが、自宅で毎日夜8:30ごろに成長からお話をしています。初めは嫌がっていましたが、今では進んで、座って聞いてくれています。
by 中田征行 (2016-08-23 12:12) 

148

 はじめまして。
 うちの子達は、はっきり障害の診断はうけていませんが、教会に行くと、かなりつかれます。
 幸い、
「自分の子は、あんまりうるさくいっちゃったから(静かにしなさいとか、行儀よくしなさいとか)3人とも教会に来なくなっちゃったわ」と、
いつでも、何か、子どもをほめて下さる方がいます。
 でも、やはり、愚痴は影ででるもので、
二十代のCS教師が、ときどきSNSで、自分の不満も含め、伝えてきます。
 何も気付かないよりは、はっきり教えてくれて、ありがたい面もあるのですが、
「ありがたい」と言ったからといっても、しょっちゅうはっきりだと、
私自身がADHD傾向からくる鬱なので、しんどいです。
 似た虚遇のひとと、集まって話して見たいです。
by 148 (2016-09-08 05:10) 

あこやがい

カトリック教徒です。カトリックは幼児洗礼があるので、障碍者もOKです。目も見えない、自閉もある、いろんな障害のある人も、ご聖体拝領の練習をしこたまして、ご聖体拝領していました。小さい教会でなければ、出入りしても大丈夫です。
by あこやがい (2016-12-05 21:49) 

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