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クリスチャンと非嫡出子(2)  未婚の母は親になる資格はないのだから子供を捨ててください^^ [クリスチャン業界の下世話な話]

「胎児の人権」とやらで頑張って生んだところでキリスト教含め未婚の母に対するリアルの反応はこうである。

>はじめから結婚と家庭を望まない未婚の母や、夫婦愛の自然の営みを通らない試験管ベビーや代理母など。もともと子どもを育てる資格のない親のもと

オバマ大統領、妊娠中絶を容認

それに対する反論
>(コメント欄より)言ってる理想はわかるけれど 現実、望まれないで生まれてしまった子の権利は書かれていない。

反論に対する司教の反論

>今はたいてい社会福祉法人を通してであるが、教会のイニシャチブによって種々の社会福祉事業が行われ、不幸な女性や子供を助けてきた。特に、特別な事情のもとに妊娠し、中絶の誘惑にさらされる女性たちを助けるために意を用いて来た

助けてきたのは事実であるが、もう一方でカトリックが映画「マグダレンの祈り」の舞台の修道院を1996年まで廃止しなかったことも忘れてはならない。さすが2000年。建前と侮蔑に歪みがない。

 ついでに

シングルマザーがカトリックの小学校を受験しようとした時のリアルの反応


要するに「命の大切さ」とやらで生んでも養子に出すかポストに捨てるかしない限りあらかじめ社会からはじきますよ。ということだ。

それともなんだ。婚姻外で産まれた子に産まれてきたものは仕方がないし我々には関係ない世界の人間だからフォローしないけど、どっかに数少ない人間の善意があるかもしれないからそれに縋り付いて生きていけとでもいうのか?当事者に。
それなら母親の考えとして、産んで生木を裂くようにして子供と離れて一人前になるより、最初から「なかったこと」にして次の子供には数多くの善意が保障された人生を歩ませたいと思っても非難はされまい。

まあそれは極論だが、キリスト教で一番優れたシステムは養子制度である、とは私も思っているのだ。
世の中には親から人間から世間から必要とされない人間は山のようにいる。
また反対に世の中にはどんなに愛情深くても善人でも子供に恵まれない人間も山ほどいる。
主は創造主であられるから人間側の事情を斟酌なさらず、またその必要もない。
養子システムはこの両者を結びつける今の所有効な手段の一つである。

ただこれは血の概念の強い国(特にアジア)ではなかなか導入が難しく、お隣の韓国では逆に
キリスト教の割合が多い韓国でもこのすぐれたシステムを利用せんと毎年多くの障害児や私生児が海外に「輸出」されている。中絶するよりマシかどうかは私は知らない。個人的には「恥知らず」だと思うしこんな国にむやみに頭を下げたり、こんな国の牧師をマンセーするキリスト教関係者もアホかと思う。


ここではっきりいっておくが、私はクリスチャンで「中絶否定派」ではない
非嫡出子の相続格差は撤廃。無論相続も認めるならば、負債も介護義務も折半である。
「本妻の権利の侵害(なんだそれ)」というなら生前贈与か遺言書を義務づけるべきであろう。
非嫡出子の最低限の権利も中絶を認めずなおかつ婚姻制度を維持するというならば、
いっそ婚姻外の罪は「姦通罪」を作って、罪を犯した男女、生まれた子を全部死罪にし徹底的に排除して然るべきとすら思っている。


昔からこの手の運動は、身分制度があると言われている。

寿司を振舞って金を稼ぐ職人(牧師) それを食べる人(クリスチャン)、寿司ネタ(胎児())
と昔から役割が決まっていて、寿司ネタはいつだって喰われる側だ。
貧乏人、非差別者は昔から知識人、善人の研究対象、捕食対象であり、金儲けと自己満足の手段である。

まあつまり胎児だの非嫡出子だの養子だのは金ヅルなのだ。金ヅルの上に善人ぶれるからこれほどいい獲物はない。
存在がリアルでないから生まれて差別されよーが、貧困に喘ごうが「心の底から」どうでもいいのだ。
当事者じゃないから。クリスチャンになったら教会にそんな人間いないでしょ?はじくから。
自分と家族がクリスチャンでいれば、そして子供もクリスチャンでいれば、社会秩序の中で地位は保障され、クリスチャンだけのコミュニティで安心安全無菌な世界にいることができる。


コミュの中で完結すればいいが、たまにそれでは我慢できず社会に物申す人間もいる。
それなら最低限の資質は持って頂きたい。社会に物申す人間に必要な資質はなにか。私はそれは当事者意識と加害者意識だと思っている。
誰よりも強い当事者意識があってこそ初めて社会は聞く耳を持るのではないか?
中絶を否定できない人間は、基本一番弱者に冷たいものだ。否定はしない。
しかしまだ「生まれてきたらこの子はきつい運命にある」とある程度残酷な当事者意識はある。
平和ボケしすぎて「本当に心底(神以外)祝福されていない」前提の人間のことを考えることすらできなくなっているのではないか?
「もしかしたら自分がその立場になるかもしれない」
「この人達を阻害もしくは迫害しているのは自分ではないか」

これをキリスト教では「罪」というのではないかと思ったが、どうやら違うようだ。
一部のクリスチャンの中では「ぼくのかんがえたさいきょうのせいしょ」に従わない他人が「罪人」で「ぼくのかんがえたさいきょうのせいしょてき○○」に従わないすべてが「罪人」であり「この世」だそうだ。
はっきり言うがこう思うようになったら人間をやめた方が良い


コメント(2) 

コメント 2

創造論は問題です

>「貧乏人、被差別者は昔から知識人、善人の研究対象、捕食対象であり、金儲けと自己満足の手段である。」

イエス・キリストの教えは、「(特に宗教というものは)このようなシステムではいけないよ」ということだったと思うのです。

それは、福音書を読めば誰でもよくわかるはずなのですが、現実の教会では当時の律法学者・パリサイ人の支配する「宗教」とほとんど同じようなことをやってしまっているのです。

ブログ「一キリスト者からのメッセージ」のコメントにも書きましたが、悲しいことにプロテスタントの教会もまた、「金儲けと自己満足の手段」という罠にはまっていると思います。


by 創造論は問題です (2012-01-16 12:53) 

mmm

ちょいちょいと拝見してますー。

>非嫡出子の相続格差は撤廃。無論相続も認めるならば、負債も介護義務も折半である。
うんうん、相続というのはプラスもマイナスも両方引き受けることを言いますよね。その「先」のことを書いてらっしゃるんですね。納得です。

>「本妻の権利の侵害(なんだそれ)」というなら生前贈与か遺言書を義務づけるべきであろう。
ああ、ここで残念なことなんですが、今のところ日本では生前贈与だけが確実です。税金は多少高額になる場合が多いのですが。遺言書を書いても、実は相続する権利を持つ全員がそれに従いますよという状況にならないと、結局裁判所で「遺留分」のための割り算をすることになるのです(参考: http://www.souzoku-navi.com/will/)。ごく最近に片親を亡くしましてね、それを知ってびっくりしたものです。日本では遺言書の効力が不十分なようです。元の持ち主の意図をくむというのはもっと行われて欲しいような…

カトリックには言葉にできなかった違和感を持ち続けているのですが、どうやら結婚・出産、命の扱いなどにまつわる「正しさ」の点にもその違和感のモトがあるのかもなあ、と思いました。自分や刀を腰に挿した祖先の犯してきた間違い、罪、それらと「非嫡出子」やその親だのとは同等のものであると感じているからです。「義人はいない。一人もいない。」の言葉をカトリックには思い出してほしいとコッソリ思っています。
by mmm (2012-01-30 22:08) 

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